松本人志はなぜ炎上“被害者”になり、面白い表現への挑戦をやめてしまうのか

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 確かに、松本が発したようなセクハラ発言が「お笑い」という大義名分のもとに許され、放置されてきたことは事実だ。

 しかしそれは、差別的な考えのもとに一部の人を愚弄し、その姿をみんなでよってたかって嘲笑するグロテスクな笑いであり、かつてそれが表向き許されていた時代だって、「チビ、デブ、ブス、ハゲ」のような発言で笑う人々のなかには、その言葉に傷つき、奥歯を噛み締めていた人がいたはずだ。

 いまはようやく、そういった表現をすることに異議申し立てが起きる時代となった。松本はこの異議申し立てを“笑いのわからない奴らのクレーム”扱いし、まともに取り合わないつもりだろうか。

坂元裕二が提示する新しい時代の「表現との向き合い方」

 こういった「コンプライアンス批判」の動きに対し、『Mother』(日本テレビ)、『Woman』(日本テレビ)、『カルテット』(TBS)、『anone』(日本テレビ)など多くのヒットドラマを手がけた脚本家の坂元裕二は、『脚本家 坂元裕二』(Gambit)のなかで、このような意見を述べている。

<ベテランの芸能人の方たちが、「最近はコンプライアンスとか苦情が多くて、面白いものがつくれない」ってよくおっしゃるじゃないですか。「女性をブスって言ってもいいじゃないか。セクハラもコミュニケーションだ。差別も言論の自由だ」っていうのを、僕は疑問に思っていたから、それを全部クリアしても面白いものがつくれると思いますけどね、ということをやってみたかったんですね。(中略)「ポリコレでテレビがつまんなくなったんじゃないよ」ってことは言ってみたかったし、むしろそれを守ったことで新しい場所に行けるという気がしたから、「できるんじゃない?」って思いましたね>

 坂元裕二の言う通り、コンプライアンスを意識することで、新しい表現を生む可能性がある。これはドラマや映画に限った話ではなく、バラエティでもそうだろう。

 セクハラやパワハラなど、昭和の時代から何万回、何億回と繰り返されてきた、マンネリ化も甚だしいバラエティ番組のフォーマットが使えない状況は、新しい笑いのあり方を生んでくれる源泉ともなり得る。

 「コンプラ批判」を繰り返し、古い時代の価値観にしがみついては炎上を繰り返している芸人やテレビマンにも、コンプライアンスをクリアした新たな笑いの表現を模索してほしい。

(倉野尾 実)

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