
のんInstagramより
現在放送中の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(NHK)。先週放送された第3回「冒険世界」では、いよいよ、日本初のオリンピック選手・金栗四三(中村勘九郎)がマラソン競技と出会い、アスリートとしての第一歩を踏み出す場面まで描かれた。
人物紹介や物語の前段の部分が終わり、ようやく『いだてん』本編が始まるわけだが、その一方で、脚本を担当する宮藤官九郎はすでに1931年のパートを書いているようだ(現在放送されているドラマは主に1910年代を描いている)。
1月17日に発売された「Number」(文藝春秋)での連載コラムで宮藤官九郎は現在の『いだてん』脚本執筆の状況をこのように綴っている。
<放送は始まったばかりですが、脚本は既に折り返し、現在1931年を執筆中。田畑政治さん率いる競泳チームがメダルを獲りまくったロサンゼルス大会が翌1932年。俺のパソコンの中では「前畑ガンバレ!」の前畑秀子さんら若い選手達が、予選突破を目指し猛練習しています>
前畑秀子選手は『いだてん』で重要キャラクターになる可能性が高い
前畑選手は1932年のロサンゼルスオリンピック200メートル平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得した(金メダルを獲ったオーストラリアのクレア・デニス選手とわずか0.1秒差だった)。
惜しくも世界一にはなれなかったものの、自身がもつ日本記録を大幅に縮めることができ満足していた前畑選手は、これで引退を考えていた。しかし、周囲からは4年後もオリンピックを目指すように熱狂的な応援を受け、東京市の市長であった永田秀次郎からも、<日本の女子でメインポールに日の丸を揚げられるのはあなたしかいないんだ>(前畑秀子朝ドラ誘致実行委員会ホームページより)と涙ながらに言われるといった状況になってしまい、4年後を目指すことを決意。
それからは、1日に2万メートルを泳ぐ厳しいトレーニングを自らに課し、1936年のベルリンオリンピックでは金メダルを獲得した。その際の実況放送で、NHKの河西三省アナウンサーが発した「前畑ガンバレ!」というフレーズはいまでも語り継がれている。
そんな前畑選手について、宮藤は同エッセイのなかでこのように書いている。