冷静に反応した“大人”は、武井壮だけだった
この流れに抗ったのは、武井壮だ。武井は23日、Twitterで<体罰なんか最初からひたすら絶対にノーだってずっと言ってんだろ!誰が擁護しようがオレは絶対に体罰なんか認めねえわ!!!>と吼えた。
武井はその後もツイートを連投し、暴力を断じて許さない姿勢を誇示する。
<生徒が悪かろうが、愚弄されようが、狡猾なやり方で追い込まれようが、どんな良い先生だろうが殴ったら駄目なんだ生徒を擁護する理由なんか1つもない、先生は悔しかっただろうし怒りもあっただろう、生徒の事を思ってかもしれない、けれど殴ったら駄目だ。それ以外の方法で対応しなきゃ駄目なんだよ>
<会社で言うこと聞かない部下をぶん殴ったらクビだろうな、部活で生意気な後輩ぶん殴ったら出場停止や廃部にもなる、国会で暴言吐きまくる議員を答弁中の総理がぶん殴ったら逮捕されるだろうな、どんな人も人を殴ったら駄目なんだよ。教師なら殴ってでも教えていい?教師だけに人を殴る権限なんかない>
“大人”である武井壮のコメントは、もっともではないか。教師が暴力に訴えた背景を考慮しつつ、しかし暴力は頑として認めない。さらに武井は、なぜ暴力が、教師と生徒の関係性においてのみ「体罰」と換言され、見逃されているのか――ということにまで言及している。冷静であり、的を射た意見だ。
冷静さを欠いた大人たちが、生徒への批判をエスカレートさせることは、暴力や体罰を容認することにつながる危険さえ孕んでいる。さらに、ここ数年は理不尽で無意味な校則、通称“ブラック校則”がまかりとおっていることが問題視される機運もあり、学校側のルールや教員の言い分が絶対的に正しい、という認識を強固に持つ人などそう多くはないだろう。にもかかわらず、この事件が過剰な生徒バッシングと体罰やむなし論に展開していったのは、異常としか言いようがない。
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