新井浩文の性的暴行容疑は「時代のせい」?『バイキング』が垂れ流す芸能界の“内輪ノリ”

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 坂上には、ルールを逸脱せずに生活すると、表現者としての魅力がなくなる……との持論があるのかもしれない。だがそれは「まともに生きる」ことを放棄するいいわけに過ぎない。芸能界も社会であり、ルールを破っても良いなどという例外の通用する業界ではないはずだ。

 また東国原のコメントにはとくに大きな違和感があった。「10年くらい前は『破天荒』でも『ワイルド』でもよかった。でも時代が変わって、人一倍モラルを要求される世界になりました」――この認識は、強制性交の容疑を「モラル」の問題にすり替えてしまっている。

 10年前に「破天荒」「ワイルド」で済ませていた事例も、厳密に見れば当時からモラル違反であり、場合によっては犯罪だったはずだ。それが「破天荒だね」で許容されていた時代、声を挙げられずに泣いた被害者はどれほど多かったか。東国原の発言に透けて見えるのは、事件の被害女性を軽んじる“昔は良かった”論である。暴力やルール違反に寛容で、「これくらい許してあげて」と被害者に迫るような時代は、もう終わりにしなければいけない。

 また坂上忍は「今の時代のキワキワ」を見極めてヤンチャしろと発言しているが、性暴力を「ヤンチャ」の延長線で捉えるべきではない。セクハラやパワハラなどのハラスメント行為に関しても、セーフラインの「キワキワ」を見極めて繰り出すとしたらそれもまた悪質だ。

 かつてなら被害者が泣き寝入りしていたような暴力が、許されない時代になった。これは加害行為も冗談で済まされていた“昔”と比べれば、大きな前進であり、歓迎すべきことだろう。

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