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私は女なのか?~「不完全女性」を認定する

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『侍女の物語』と不完全女性

 「不完全女性」(Unwoman)というのは、マーガレット・アトウッドが1985年に刊行したSF小説『侍女の物語』に登場し、2017年からHuluで放送されたドラマ版『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』でも詳しく描かれている概念です。

 この物語は、女性の権利が奪われたキリスト教原理主義独裁国家ギレアデを舞台に、家族と引き離され、子を産む機械である「侍女」として働かされることになった女性オブフレッドの抵抗を描いています。

 この作品では、出産できない女性やフェミニストをはじめとして、ギレアデという国家体制にとって役に立たない女性が「不完全女性」と認定されます。不完全女性はコロニーに送られ、不衛生な環境で強制労働させられます。レズビアン、修道女、老女、政治的反逆者など、とても恣意的な基準で女性が「不完全女性」と認定されます。

 『侍女の物語』はSFですが、実はこのような「不完全女性」認定は、歴史上しょっちゅう起こってきたことです。アメリカの奴隷解放活動家でフェミニストであるソジャーナ・トゥルースは、1851年に「私は女ではないの?」という有名な演説を行いましたが、ここでトゥルースはアフリカ系アメリカ人の女性が、いわゆるアメリカの白人たちが考える「女性」から除外されていることを指摘しています。

 2013年の映画『あなたを抱きしめる日まで』などに描かれているように、アイルランドには売春や未婚での妊娠など、さまざまな理由でまともではないとされた女性を閉じ込めて強制的に洗濯などの労働をさせる宗教施設があり、1990年代半ばまで存続していました。日本にも「嫁して三年、子なきは去る」などということわざがありますが、子供のいない女性や婚外性交渉をした女性などをまともな女性として扱わない社会は、歴史的にいろいろなところに存在しました。『侍女の物語』は、現実にしょっちゅう起こってきたことを強調して描いているだけなのです。

 それどころか、ヨーロッパの医学の伝統では、全女性が不完全男性と見なされてきた時期がありました。トマス・ラカーは『セックスの発明』で、近世くらいまではワンセックスモデル、つまりセックスというのはひとつで、女性は男性の未完成な変種のようなものであるという考えが存在したことを明らかにしています。我々女性はけっこう長い間、全員が不完全生物として扱われていたのです。

『侍女の物語』をはじめとするディストピアSFがどんどんリアリティを増している昨今、いつまた恣意的な理由で私のような女性が不完全認定されるか、わかったものではありません。私は子供もいないし、パートナーとは結婚していないし、口が悪くて可愛くない性格です。何かあれば絶対に不完全女性認定される立場です。

 私が最近インターネット上で起こっていた、トランスジェンダー女性を「女性でないもの」として扱う動きを見て感じたのが、この不完全女性認定に対する恐怖でした。私はトランスジェンダーの女性ではないので、トランスジェンダーの女性たちが感じている恐怖はたぶん理解できていないし、理解しているフリをするのは不誠実です。それでも、誰が女性で誰が女性でないかを自分が決められると考えている人がこんなにいる、と思うのはけっこう怖くて不愉快な体験でした。私だっていつ不完全女性認定されるかもしれないし、みんな不完全女性認定される可能性があるのに。こんなの、テキトーな理由で女性を不完全女性とまともな女性に分けていたギレアデみたいです。私はギレアデには住みたくありません。

参考文献

マーガレット・アトウッド『侍女の物語』斎藤英治訳、新潮社、1990 [Margaret Atwood, The Handmaid’s Tale, Vintage, 2017]。
荒このみ編訳『アメリカの黒人演説集』岩波文庫、2009。
トマス・ラカー『セックスの発明――性差の観念史と解剖学のアポリア』高井宏子、細谷等訳、工作舎、1998 [Thomas Laqueur, Making Sex: Body and Gender from the Greeks to Freud, Harvard University Press, 1992]。

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