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斎藤工主演映画が「オリンピック批判」で公開中止!?

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『麻雀放浪記2020』騒動を通して考えるべきこと

 こういった状況を踏まえ、『麻雀放浪記2020』には「炎上マーケティング」なのではないかという声も多く出ている。

 しかし、『麻雀放浪記2020』に関する一連の騒動が「炎上マーケティング」なのかどうかは置いておいて、このニュースを通じて考えなくてはならないのは、「自民党議員が『オリンピック中止』の設定にクレームをつけたことで映画の公開が危ぶまれている」という報道を聞いて、多くの人が「いかにもありそうなことだ」と感じてしまう状況についてである。

 映画の公開が「国会議員の一言で潰される」ことなどあり得ないことではあるが、地上波テレビに対して安倍政権が脅しをかけ続け、「忖度体質」がすっかり内面化してしまった現状では、いつ起きてもおかしくないことに思える。

 特に、先日は、菅義偉官房長官の記者会見にて事実ではない質問をしたとして、首相官邸が東京新聞記者を批判したうえ、特定の記者に対して質問制限をするような圧力を加えたばかり。

 この事実が端的に示す通り、彼らの報道や表現の自由に対する認識は非常にお粗末なものである。「映画を公開中止にさせることぐらいはやりかねない」と人々に思わせてしまうには十分なことをやってきた。

 また、それに加えて、ここ最近の政権や与党には、オリンピックのためなら、いかなる「無理」や「横暴」もまかり通るような傾向がある。

 当初の予算を大幅に超過していることから始まり、オリンピックのボランティアに対して指摘された様々な問題や、「オリンピック」を理由に共謀罪を強行採決させたこと、世界的に時代遅れとなっているサマータイムの導入をオリンピックにかこつけて強引に議論の俎上に乗せたことなど、これまでに政権や与党がオリンピックにかこつけて行ってきた横暴な振る舞いは枚挙に暇がない。

 水泳の池江璃花子選手が白血病との闘病を告白したことに対して、オリンピック・パラリンピック担当大臣の桜田義孝氏が放った<盛り上がりが若干下火にならないか、心配しています>という発言は、オリンピックのためなら国民の自由や財産がどうなっても構わないし、命すら軽んじるという、非常にグロテスクな考えが、まさに具現化された言葉といえる。

 今回の『麻雀放浪記2020』をめぐる騒動は、国民の間で「いまの日本政府はオリンピックのためならどんな無法なことも行う」という認識がいかに広まっているのかを端的に示す出来事だった。

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