
百女百様/はらだ有彩
――あれ、今日、何かあったっけ?
JR渋谷駅のホームを歩きながら私は考えた。平日、夕方のラッシュより少し早い時間。考えながら自分でも(都心で「今日お祭か何かあるの?」と聞く、古典的田舎者のテンプレートみたいな発想をしてしまった……)と気恥ずかしくなったが、行き交う人の多さからそう思ったわけではない。
混雑するホームの、数人を追い越した先を歩く二人組が、てんでばらばらに着飾っていたのが見えたからだ。
それはロリータ・ファッションと、派手な着物にそれぞれ身を包んだ女の子のペアだった。
一方は黒いフリルと白いレースにぐるりと縁取られた大きなヘッドドレス、ウエストが細く絞られた装飾的な黒いコート、軽い質感で膨らんだ黒いスカート、漆黒のタイツ、黒いストラップシューズ。彼女を「黒ロリ」と呼ぶべきなのか、「ゴシック・アンド・ロリータ」と呼ぶべきなのか、ロリータ・ファッションのザルの目の粗い私には判断できない。スカートの襞がひらひらと揺れる。
もう一方は対照的にカラフルだった。彩度の高い紫色の生地に、色とりどりの小さな花が飛び散った道行コート。その下の白い着物にも、これまた色とりどりの花が縦横無尽に飛び散っている。ドクター・マーチンらしき編み上げのブーツ。おさげはきっちりと結われている。レトロモダンとも、スチーム・パンクとも形容できそうだ。
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「ロリータ・ファッション」は、ウラジーミル・ナボコフの小説作品『ロリータ』に由来する「ロリータ・コンプレックス」とは、常にはっきりと区別されている。しばしば用いられる「ロリィタ」や「ロリヰタ」という表記は、コンプレックスと混同されないための対策であるという説もある。ナボコフの『ロリータ』は言うまでもなく、中年の大学教授であるハンバート・ハンバートが、昔亡くした恋人に似ている少女、ドロレス・ヘイズ(通称ロリータ)に惹かれていくという物語だが、ファッションとしての「ロリータ」にハンバートの存在はない。幼い少女であるところのドロレス・ヘイズのエッセンス、少女のエッセンスをひたすらに追求している。
1970年代に誕生したブランド『MILK』や、80年代を席巻した『PINK HOUSE』や『ATSUKI ONISHI』などのロマンチック・ファッション、雑誌『Olive』(マガジンハウス)のムードによって、ロリータの土壌は形成されていく。90年代に入ると「ロリータ・ファッション」という言葉が現代に近い意味で染み渡り、オリジナルブランドも多数生まれた。
ロリータ・ファッションの認知度UPに貢献したのは2004年に公開された映画『下妻物語』のヒットだが、映画によって作られた特定のロリータ像を押し付けられることに反発する人もいた。その反動なのか、インターネットの浸透とともにロリータのジャンルは細分化・個別化が進んだ。2010年頃から国外への発信が盛んになり、2015年にはムスリム女性によるムスリマ・ロリータが話題になった。
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ロリータ・ファッションが世間で一躍ホット・トピックとなり、それゆえに軋轢も生まれ、結果的に細かくジャンル分けされつつあった2000年代、着物の世界でも激しい動きがあった。
いわゆる「レトロモダン着物のリバイバル・ブーム」である。以前から老舗雑誌として刊行されていた『美しいキモノ』(1953年創刊/ハースト婦人画報社)や『きものSalon』(1981年創刊/世界文化社)のような大人びた文脈ではなく、「楽しく、思うままに、自由に」というマインドで着物を着よう! というムーブメントが巻き起こった。
当時を振り返ると、この世界観の構築に一役買っていたのは雑誌や書籍だったように思う。
2002年創刊の『KIMONO道』(祥伝社)を前身とした雑誌『KIMONO姫』の写真にメロメロになった人は多かっただろう。自由でテーマ性のあるコーディネートを薦める書籍『豆千代の着物モダン』(マーブルブックス)の刊行が翌年の2003年。この二者よりはシックな路線だが優しく柔らかく、生活に寄り添って解説してくれて、買い物レコメンドや辞典的別冊も出ている『七緒』(プレジデント社)が2004年創刊。定期購読でしか読めない雑誌『月刊アレコレ』は2005年創刊(スタジオアレコレ)。前述の豆千代氏による書籍『豆千代の着物ア・ラ・モード』(小学館)が、同じく2005年刊行……と、活発だ。
ブランドでは、株式会社三松がレトロモダン着物を自由に着るためのショップ『ふりふ』を開設したのが1999年。豆千代氏によるオリジナルブランド『豆千代モダン』の設立が2002年。着物でないものも含まれるが、SOU・SOUも同じく2002年に設立された。
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しかし、2000年代前半に思春期を、後半に大学時代を過ごした私は、ロリータ・ファッションとレトロモダン着物が、それぞれまだ成熟しきっていない空気の中でほんのり冷ややかな視線を向けられるのを横目で見てきた。ロリータ・ファッションとコスチューム・プレイは混同されまくり、ロリータ愛好家だった高校の同級生は怒り狂っていた。京都の大学に通っていた時には、「モダン着物、ああ、あのサブカル大学生か一日体験っぽいやつww」という着物警察(当時その言葉があったのかは不明だが)による嘲笑も幾度となく耳にした。
2000年代。2000年代かあ、と思う。1980年代のDCブランドブーム、1990年代のストリートから自発的に発信される自己表現としてのファッション。それでは2000年代は何だったろう。
1980年代は、突出した非日常な才能に憧れる時代だったと思う。
1990年代は、自分が非日常な才能と化す時代だ。
だとすれば2000年代、ゼロ年代は、非日常を自分の日常に引き寄せようとした時代だったと言えるかもしれない。
憧れを自分のほうへ引き寄せる行為は、諦めることを回避させてくれる。小さな頃に夢見ていたお姫様のドレスを諦めなくていい。ドレスのために日常を我慢しなくていい。着てみたかったけどビビっていた着物を諦めなくていい。和装だからといって自分らしさを捨てなくてもいい。そのムードが各々の趣味や思想に沿う形でロリータを細分化させ、着物を激しくカラフルにしたのかもしれない。
と、考えながら、私は最初に「今日、何かあったっけ?」と考えたことを後悔した。だって、何かがなければ好きなものを着てはいけないなんて、ナンセンス極まりない。マジョリティから逸脱した(かのように見える)装いでいると、「なぜ」それを着るのかと聞かれることになるだろう。しかし強い信念を持っていなければ「諦めないこと」を諦めざるを得ないなんて、あまりに暗い。
ロリータの彼女と着物の彼女は色を添え合い、世界観を融合させ合い、静かに談笑しながら南改札への階段を降りていく。その姿は何でもない日常の中、背中合わせで戦うバディのようにも見えた。