性、家族、時代。逃げられないものに傷つく苦しみから、自分をどう救うのか。共通項の多いふたつの漫画『愛と呪い』(新潮社)と『血の轍』(小学館)の作者同士が、正解のない問答を重ねる。
押見修造
1981年群馬県生まれ。2002年、ちばてつや賞ヤング部門の優秀新人賞を受賞。翌年、別冊ヤングマガジン掲載の「スーパーフライ」にてデビュー。既刊作に19年秋の映画化を控える『惡の華』、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』、『ハピネス』、『血の轍』などがある。
ふみふみこ
1982年奈良県生まれ。2006年『ふんだりけったり』で「Kiss」ショートマンガ大賞・佳作を受賞しデビュー。既刊作に『女の穴』、『ぼくらのへんたい』など。『愛と呪い』を「yom yom」で連載するほか、「LINEマンガ」で『qtμt』も連載中(作画担当)。
「毒親」を捨てられない子どもたち
――お二人は奇遇にも、いま同時に「毒親」について描かれていますね。
押見 もう他人事とは思えないですよね。きっと僕もふみさんも、自分にとって「親とは何か」というのが分からないから、それを探るために描いているんじゃないかと思います。
ふみ そうですね。いつか描かなければいけないと思ってました。
押見 『愛と呪い』はすごく面白く、というか興味深く読みました。だけど自分もいろいろフラッシュバックして、具合が悪くなったりします(笑)。
ふみ ごめんなさい(笑)。
押見 いや、そういう作品が好きなんです。僕は吃音持ちなんですけれど、『血の轍』を描きはじめた時も日常生活に支障をきたすレベルまでひどくなってしまって。でも、それは辛いというより、どこか高揚している感じもあるんですよね。ふみさんの『愛と呪い』は『血の轍』と主人公の性別も設定もいろいろ違うけれど、すごく似ているところもあって、真に迫ってくるんだと思います。
ふみ 私が『血の轍』を読んで最初に思ったのが、押見さんは別に「毒親」を描きたかったわけじゃないのかなと。
押見 それはおっしゃる通りです。自分からは積極的に「毒親ですよ」とは言わないようにしていますね。母親の描き方も、分かりやすいモンスターペアレントみたいにはしたくなかった。
ふみ 私も「毒親モノ」みたいに言われるんですけど、ちょっと違和感があって。
押見 分かります。ふみさんの描く「呪い」の感覚って、僕にもすごくあるんです。だけど一方で、憎しみきれない感じというか、そんな風に思ってしまう自分への罪悪感もある。親を完全な悪者にできない苦しみというか。
ふみ 何が正しいことで何が悪いことなのか、子どものときは分からないじゃないですか。『愛と呪い』の愛子もある日、親の振るまいは決定的に良くないことなんだって分かるんだけど、それでもどこかで「愛情だよね」って思い込みたい部分はあるというか。
押見 そうですね。むしろ親の「愛情」を受け止められない自分が、度量の狭い人間なんじゃないかと思ってしまう。
ふみ その“生殺し”の状態ってキツいですよね。他の漫画家さんの作品で、父親に強姦されて家族を捨てるという話があったんですけど、「あ、捨てられるんだ」ってびっくりしたんです。押見さんの言う通り、子どもの一番のしんどさは、親を憎しみきれない、捨てることもできない、みたいなことじゃないかと思うので。
押見 『愛と呪い』は、そういう虐待される子どもの葛藤というか、親を殺したくなったり、愛情を欲しがったり、内面で戦っている感じが非常に生々しくて、はらわた削って描かれているんだなと思いました。
ふみ たぶん一生、正解が分からないと思うんですよ。揺らぎ続けるんじゃないかと思います。
押見 僕もまだ結論が出ていないので、ここからどうなるのか、最終的にどういう関係性に落ち着けるのか、よく分からないんですけど……って、あの、これもう主人公っていうより、僕らが主語で話してますけど、大丈夫ですか(笑)。
ふみ なんか被害者の会みたいに(笑)。
押見 ふみさんは今回「半自伝」ということで、完全なる自伝というわけではないですよね。
ふみ そうですそうです。押見さんも?
押見 はい。僕も自分の親の要素はいろいろ入っているんですけど。でも本質的な部分を探りたいと思って描いているので、そのためには本当じゃないことが混ざっていてもいいや、という感じですね。
ふみ 本質的な部分というのは?
押見 親との関係性の正体を掴みたい、という感じです。ふみさんが指摘してくださったように、自分の親のことを「毒親」だと思っていたかというと、そうとも言い切れなくて。はっきりよく分からなかったんですよね、自分の親が何なのかっていうのが。
ふみ なるほど、分かります。私はなんか、『愛と呪い』の父親の顔が描けないんですよね。もうどんな顔の人なのか分からないというか。
押見 そこは僕も気になってました。父親の顔にフィルターかかってるみたいな感じというか。
ふみ もちろんキャラクターとしての顔は決めてあるんだけど、その時どういう表情をしてたかが、分からないから。わざとじゃなくて、なんか生理的に描けないぐらいの感じで。でも愛子の視点なので、それでいいのかなと思っています。押見さんの描く母親は、艶かしくて美しくさえあるのが印象的ですね。
押見 僕はむしろ、母親の顔にピントを極力合わせていこうとするので。主人公の静一は……いやもう、主語は自分でいいんですけど(笑)、僕は潜在的にマザコンで、「母親を女として見てるんじゃないか?」というのをずっと伏せてきたので。敢えてその罪の意識を見極めるために生々しく描いてるって感じですかね。
ふみ なんか修行僧みたいですね(笑)。
押見 はい、修行の一環として(笑)。静一の内面の変化に合わせて、これから母親の造形も変わっていく気がしますね。主人公の主観世界を疑似体験してもらいたいと思って描いているので。そういえば二巻のラストで、愛子のお母さんの顔がそれまでとちょっと違うなと思ったんです。なんか、可愛くなっているというか、端的に言うと。
ふみ ああ、そうですね。このあたりから、母親が人間味を帯びてくるんですよね。これまで父親の話だったのが、あのラストで転換して、母と娘の話になったんだと思います。
押見 なるほど。
ふみ それは今回、描きながら気づいたことですね。結局、父親のことじゃなくて、母親との問題だったんだと。
押見 最初は父親が憎いというところから描き始めたんですか?
ふみ そうですね。ただ描いてみると、父親はもう何でそんなことするのか分からないサイコパスみたいな人になっていって。でも母親は、同性だし、自分がだんだん母親の年齢に近づいていくと、「なぜ」という気持ちが強くなるんですよね。
押見 それは大きな気づきですね。僕は描き始める前は母親が憎かったんですよ。だけど、だんだん、自分が母親のことが大好きなんだなって分かってきてしまったんですよね。
ふみ それも分かります。結局、好きだから苦しいんですよね。
閉塞感と空騒ぎの90年代に思春期を過ごした、僕らと彼らの物語 『愛と呪い』ふみふみこ×浅野いにお対談
あの頃、私たちはひとりぼっちだった ふみふみこの漫画単行本『愛と呪い』第一巻(新潮社)が6月9日に刊行された。舞台は90年代、関西地方のとある町。新…