母の豹変は更年期だったのか「大好きなお母さんが変わってしまった」という戸惑い

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更年期

向き合います。更年期世代の生と性

 あさみさんは33歳、結婚5年目の夫(35)とひとり娘(3)と一緒に埼玉県内のマンションに住んでいる。企業の営業担当で、現在は時短で働くワーキングマザーだ。あさみさんはこの「更年期世代の生と性」連載を読んで編集部に連絡をくださった。その内容は「理由があって私なりに更年期について学んでいます。検索してこの連載を見つけました」「私も、母のことを話したいんです」というものだった。

 メールに綴られていた「いま振り返ると、あれは母の更年期だったんだろうと思います」との一文を読んで、ハッとした。「なるほど、子どもの目から見た“母の更年期”について書くことは必要かもしれない」、そう考え、あさみさんと会ってお話を聞いてみることにしたのだ。あさみさんが思春期の頃にできてしまった母子の溝は、更年期ゆえの不調にも一因があったのかもしれない。

母一人子一人、密着した親子関係

――お母様はいま68歳でいらっしゃるんですね。

「ええ。私が4つの頃に両親が離婚して。それ以来、私が短大に入るまでは母と子ふたりだけで暮らしてきました。とはいっても、実は両親の離婚後すぐの頃は、私は母方の祖父の元で半年ほど暮らしていたのですが」

――その理由はなんでしょう。

「母の手術です。母は幼い頃から持病を患っており、離婚後に『若くて体力のあるうちに』と思い切って手術を決めたそうです。手術してリハビリが終わるまで、私を祖父の家に預けました」

――お母様はあまり体が強い方ではなかった?

「はい。リハビリを経て母と一緒に暮らすようになり、母は働きに出たのですが、ある日仕事をしている際に腰を痛めてしまって。椎間板ヘルニアで、手術はしなかったのですがしばらく入院することに。それから、たしか私が小学校5年生の頃だったかな、母の日にお小遣いを貯めてケーキを買ったんですね。でも母は『ごめん、お母さん糖尿病だからケーキは食べられないんだ』と」

――それまでは甘いものは食べられていたんでしょうか。

「その辺の記憶はあいまいなんですが……おそらくその頃に糖尿病が発症したんだろうと思います。そもそもずっと健康状態が良くなかった上にヘルニアになり、糖尿病になって。外に働きに出ることが困難になり、内職をしたりして頑張っていたんですが、最終的には生活保護を受けるようになりました」

――体の弱いお母様……あさみさんはさぞかし心配だったでしょうね。

「心配でたまらなかったです。私は短大で栄養学を学び、栄養士の資格を取ったんですね。なぜ栄養学に興味を持ったかというと、それはやはり母の体が弱かったから。なにか母のためにできることはないか、そう考えて栄養について学ぼうと思うようになったんです」

――とても親思いの優しいお子さんで、お母様との間に溝があるようには思えないのですが……。

「子どもの頃の親子関係は良好でした。母ひとり子ひとりですし、非常に密着した近い関係だったと思います。私は母のことが大好きでした。母は中学しか出ていないのですが、常々『自分は中学しか卒業していないから、いい仕事につけない。あなたはできるだけ勉強して上の学校に行きなさい』と話していました。私は短大を卒業して、栄養士の資格も取り、無事企業に就職できました。頑張って勉強できたのは、母のその言葉があったからだと思っています。いい成績を取ると母が喜んでくれるので、それをモチベーションにしてきたところもあります」

40代後半になった母を襲った様々な症状

――その良好な関係が崩れたのはなにが原因だったんでしょう。

「糖尿病になったすぐ後ぐらいからだったと思います、母に異変が起こったのは。当時、母はよく台所でひとり頭を抱えて唸っていました。『う~、う~』と絞り出すような声で。しょっちゅう酷い頭痛に悩まされるようになったんです」

――その当時、お母様は40代後半。ちょうど更年期世代ではあります。

「その次は『歯が痛い』と言い出して。歯医者に行くんですが、虫歯もなくどこも悪くないんです。そのうち『人に会いたくない』と言って、引きこもるようになりました。それからは『私はノイローゼだ』『頭がおかしくなってしまった』『うつ病だ』と言うように」

――睡眠状態はどうだったんでしょう?

「夜も昼もまったく眠れなかったようです。あの頃の母は、いったいいつ寝ていたんだろうといまも不思議で仕方ないです」

――日常の言動にも変化はありましたか。

「はい。ものの言い方が非常にきついというか、いちいち声を荒げるというか。内容は些細なことです、母親が子どもによく言うような、あれしなさい、これしなさいという。けれど、その言い方が尋常ではなかったんです。まるで叫ぶようで。そんな風に言われると私もカーっとしてしまって『いまやろうと思ってた!』と怒鳴り返すようになり、あの頃はお互いただ怒鳴りあうばかりの日々を過ごしていました」

「お母さんが変わってしまった」「私のことが嫌いになったんじゃないか」

――非常に密着した親子関係だったのに、ある時を境にそれが変わってしまった。あさみさんはその当時のお母さんを見てどのように感じられていたんでしょう?

「『お母さんが変わってしまった』、そう思いました。それと同時に不安が襲うようになって。『お母さんは私のことが嫌いになったんじゃないか』『私と一緒にいるのが嫌になったのかもしれない』『私が邪魔なんじゃないかな』……そんな風に考えるようになっていったんです。母は離婚した父のことをよく思っておらず、私が子供の頃から、父に対するうらみつらみをよくこぼしていたんですね。けれど、私が成長するにつけ、なにかの拍子に『そういうとこ、お父さんに似てる』と言ったりする。悪気ない一言だったのかもしれないけれど、当時の私はそれを言われるたびに『お父さんに似てるから、私が嫌いになったのかな』という怯えを感じたりもしました。物心ついてからは『自分の中には大好きなお母さんを苦しめた父の血が混じっているんだ』と、そんなことで悩んだりもしていましたし。それなのに『似ている』と言われればなおさら……」

――辛かったですよね……いま当時のお母様の症状を聞いていると、頭痛、不眠、イライラとまさに更年期の症状に当てはまる気がします。女性ホルモンが減少することで唾液の分泌が少なくなるので、更年期に口内の違和感を訴える方も多いようです。当時のお母様は家にほぼ引きこもり状態だったということですが、毎日の食事やお弁当作りなどは?

「そこは頑張ってくれていました。もちろん多少食事が簡素になったりはありましたが、酷い言い合いしたあとでも必ずお弁当も作ってくれていたし」

――周囲の人は、誰もお母様の異変に気づかなかったんですよね。あさみさんはお友達や親戚に相談などしなかった?

「誰にも話さなかったですね。私、出身は地方なんです。狭い町ですから『心の病気になった』なんて話すとどんな目で見られてしまうかわからない。絶対に誰にも知られてはいけない。母はそう感じていたんだと思います。だから実の両親にも決して相談しなかった。私も『家庭内のことを外でペラペラ話さないように』としつけられていたので、友達に相談した覚えはないです。『今日お母さんと喧嘩しちゃった』程度はあったかもしれませんが、深い話は一切しなかったです」

 母の異変を誰にも相談できなかったあさみさん。高校生になり受験を考える頃になると「家から離れた大学に入ろう、そして家を出よう」と考えるようになる。

<後編に続く>

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