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母の更年期に思い至ったきっかけ、「若々しく元気な60代女性」に出会って

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向き合います。更年期世代の生と性

 4歳の頃に両親が離婚。そこから母一人子一人で生きてきたあさみさん(33)。「お母さんのことが大好き」だったあさみさんは、体の弱い母を心配し寄り添うようにして生きていたのだが……40代後半になった母に、これまでとは違う様々な体の変化が現れる。

 しゃがみこんで唸ってしまうほどの頭痛、歯の違和感、人に会うのが怖くなり引きこもり状態に。「自分は頭がおかしくなった」「ノイローゼ」……そう解釈した母は、あさみさんへの物言いも、これまでとは比べようもないほど荒くなっていく。怒鳴り合うような日々の中、あさみさんは「お母さんから離れよう」の思いを胸に受験勉強に勤しむようになる。

前編はこちら:母の豹変は更年期だったのか「大好きなお母さんが変わってしまった」という戸惑い

どんなにきつくあたられても「お母さん、変わった」とは言えなかった

――もともと体の弱かったお母様が、40代後半でさらに様々な不調に襲われるようになるわけですが、あさみさんはそれについてなにかアドバイスをされましたか?

「糖尿病の血糖値のコントロールもできていなかったようなので、それを心配したんですけど……母に言っても『うるさい!』と怒鳴り返されるだけで。次第になにも言わなくなりました。母は独り言みたいに『頭が痛い』『眠れない』としょっちゅう呟いていましたが、だんだんかける言葉もなくなってしまって……。いまみたいにネットでなんでも検索できるわけじゃなかったから、更年期かもしれないなんて思いつきもしなかったです」

――「お母さん、人が変わったみたいだよ」というようなことも言えなかった?

「言えなかったです。母からなにか言われて『わかってる!』と怒鳴り返すことはあっても、一度も母を否定したり追い詰めるような言葉は言ったことはなかった。どちらかと言うと、母が変わったのは自分がちゃんとできてないからじゃないか、って自分に原因があるように感じていました」

――でもお母様は、しょっちゅう病院に通っていらしたんですよね。

「はい。持病の手術をしたあとも定期健診がありましたし。糖尿病でも定期的に通っていました」

――どなたも「女性ホルモンが関与しているかもしれない」とアドバイスされたお医者様はいなかった……。

「大きな市民病院で診察時間も短いですし、あまりゆっくり話せるような雰囲気ではなかったのかもしれません。それに、母もどこまで自分の状態を正直に話していたかは疑問があります」

――それにはなにか理由が?

「生活保護を受けていたことが負い目になっていたんだと思います。以前、同じ病院でジェネリック医薬品の説明を受けたことがあるそうです。薬価が安くなると一通り説明を受けたあとに担当のお医者さんが『どちらにしろ、あなたの負担は変わらないけどね』とおっしゃったそうで。母にはその一言がショックだったよう。そういう一件もあったので、母が積極的にお医者さんに病状を相談していたようには思えないんです」

――お母様も自分の状態がどんなに不安だったことかと……。それにしても怒鳴り合う毎日の中で、よくあさみさんは受験勉強に集中できましたよね。

「むしろ、それがあったから、より一層勉強に集中できたというか」

――と言いますと?

「栄養学を学び栄養士の資格を取ることは決めていたんですが、むろん私の地元でも学べる大学はあったんです。でも、母が豹変してからは『お母さんから離れよう』『家を出よう』と考え、東京の大学を目指すことにしました」

――お母様は反対しなかった?

「猛反対でした。でも……私は怖かったんです。このままずっとここで顔を突き合わせて暮らしていたら、いつか決定的ななにかが起きるような気がして。取返しのつかないほどの深い溝ができてしまうかもしれない、そう思えたんです。母から逃げたと言えばそれまでですが、離れたら昔みたいないい関係性が取り戻せるんじゃないかっていう希望を持った。だから母を説得して東京の短大を受験し、合格後はすぐに東京に出ました」

母と同世代の同僚の言葉で知ったHRTという治療法

――上京後、お母様との関係に変化はありました?

「はい。上京してすぐはどちらともなく電話をかけ合い、一日を報告していました。子どもの頃に戻った感じでしたね。でも生活費を稼ぐために私がアルバイトに精を出すようになり、その頃から頻繁には連絡を取り合わないようになりました。とは言っても、年に1、2度ほどは地元に帰ってはいましたけど」

――その頃に、お母様に昔感じた気持ちをぶつけたりは?

「なかったです。いつまたあの頃の豹変した母の面が出てしまうか……それが怖かった。また昔あの母が顔を出して、私が近寄れない状態になったらいやだなと。だからつかず離れずの関係を意識してキープしていました」

――最初にこの連載を読んで連絡してくださったときに「独学で更年期の勉強をしています」と言われていましたが、それはやはりお母様の体調に関係があったのでしょうか?

「そうです。以前勤めていた会社に、当時60代前半だった女性がいたんです。『お母さんと同じぐらいの年齢だなあ』と思って見ていたんですが、その方がとにかくお若くって。見た目だけでなく考え方や行動力などすべてが若々しい。話も合うし一緒にいて楽しいので、よく飲みに行ったりと仲良くしていただいていたんですね。ある時その方が『私が元気なのはHRT(ホルモン補充療法)のおかげもあると思う』と言ったんです。それで、HRTってなんだろうと興味が沸き、そこから更年期についても勉強するようになりました」

※HRT(ホルモン補充療法):更年期世代になり減少したエストロゲンを、飲み薬やパッチやジェルなどの薬を用いて補う治療であり、治療によって40代半ばのエストロゲン量になるように設定される。なお、HRTを始めるためには医師による診断と処方が必要である 。

――勉強されて、すぐに昔のお母様の症状と結びついた?

「すぐにではないです。ある日、当事者の方が更年期の症状を話す場に参加することがありまして。そこで体験談を話された方の症状と、当時の母の様子がすごく似ていたんですね。『頭がおかしくなったと思った』と話されているのを聞いて、母が思い浮かびました。そこから、母の辛そうな様子は更年期障害だったのかもと結びついて」

――お母様には更年期について学んでいることを話されたことはありますか。

「話しました。つい最近『あれって更年期だったんじゃない?』って訊いてみたこともあります。母はちょっと考えて『そうだったのかもしれないね』と。いつから生理が乱れたのかも訊いてみたところ、『40になった頃から乱れていた。長く止まったと思ったらまた生理がきたり。その繰り返しだった』と言ったので『そんなに早くから!?』と驚きました」

――日常生活や社会生活に差しさわりがあるほどに症状が重い場合を更年期障害と呼び、それには3つの要因があるとされています。ひとつに女性ホルモンの低下、そして心理的要因と社会的要因です。今となっては、お母様の症状のすべてが更年期障害だったかどうかはわかりませんが……。

「母の場合、手術があったことなどもあり比較的早くからホルモンに乱れがあったのかもしれません。社会的要因や心理的要因でいうと、当時の母は離婚や生活苦などそれは大きなストレスを抱えていただろうし、相談できる相手もいなかった。いま自分も子どもを産んで、優しくて家事に協力的な夫と穏やかな家族を持っているからこそ、当時の母の苦しさや不安や寂しさはどんなものだっただろうと胸が痛くなります」

――あさみさんの中で、当時のことはいまもまだ心の傷になっているのでしょうか。

「子育てをしている最中にふっと『こういう場面で、私はこんなふうに言われたな』と母から言われた酷い言葉を思いだしたりして辛くなることはあります。でも私にそんな言葉を投げてしまった母の気持ちとか、そうならざるをえなかったあの頃の状況を思うと、そちらの方が辛くって……子どもとしてではなく、いまは同じ女性として母のことを考えられるようになったこともあり、『お母さんは辛かっただろうな』という気持ちのほうが強くなりました」

――10代でできてしまった溝は、少しずつ埋まってきているようにお見受けします。

「このインタビューを受けるにあたって、過去のことを思い出していたんですが、意外ともう忘れてしまっていたことも多かったんです。辛かったけど、私の中で消化し始めているんだなと感じました。いまは年に1度は必ず子どもを連れて、母に会いにいっています。孫を見る母はほんとうに嬉しそうで。地元に友人もいて楽しそうに暮らしているので、安心しています。そうそう、せっかく得た更年期の知識と情報ですから、今後はかつての私と同じような戸惑いを感じる人が少なくなるよう、機会があれば自分の体験談を10代の人たちの前で話をしてみたいなと考えているんですよ」

――それは素晴らしいことだと思います。ぜひ実現させてくださいね。本日はありがとうございました。

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