重度知的障害者を家族に持つ私が、「やまゆり園事件」を題材にした舞台を見て感じたこと、望むこと

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「キレイごと」の肯定

 そして、入居者たちの言動も。知的障害者は天使だから、とは、一時期話題になった「感動ポルノ」の常套句ですが、人間である以上、表に出るものは薄くても感情がある以上、いつでも健常者にとって都合のよい天使でなどいられるわけがありません。肢体不自由と知的の重複障害者はビジュアルから受けるインパクトが強いので、報道以外のテレビ番組などで登場する機会は少ないですが、間宮を演じた吉岡健二の身体表現も、本当にリアルでした。 死刑制度に反対する自身の信条と、命の価値に苦悩する太田に、先輩弁護士の遠山は「キレイごと」の肯定をします。「共生」を胸に太田は、裁判所へ立ちます。

 脚本の古川健は、人間の心を緻密に描くことで知られる気鋭の劇作家ですが、ここまで周辺事情を徹底的に調べ尽くせるとは思っていませんでした。実在の事件をもとにしていますが、本当の被告の真情はどうなのか、裁判が今後どうなるかはもちろん不明です。しかし筆者はこの舞台を、もう一度命の価値について改めて省みる機会にし、そして、個人的には家族について考えたい。

 自主規制や忖度は、直視するには生々しすぎる現実をある種のやさしさで包んだ結果といえるかもしれません。劇中、犠牲者の氏名が非公表であること、そしてインターネット上では松田の行動を賞賛する声が存在することにも言及されますが、事件のそんな「匿名性」も、生々しさからの乖離との共通性が感じられます。厳しい現実であっても、知らなくては理解することはできません。本当に必要な忖度なのかどうか、そこへ一石を投じることができるのも、舞台という表現が試金石になるのかもしれません。

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