
女子教育が世界を救う/畠山勝太
先日ネット上で、社会の物が平均的な健常男性に合わせて作られているというトピックが話題になっていました(この社会のものが、「平均的な健常者男性」に合わせて作られているという説から見えてくる様々なバリア「つり革も届かない」「逆に集合住宅のキッチンつらい」)。
そこでは、電車の網棚やつり革の高さが男性に合わせて作られているため多くの女性にとっては高過ぎる、逆に集合住宅のキッチンは女性に合わせて作られているため多くの男性にとっては低過ぎる、といったことが議論されていました。
ほぼ時を同じくして、ガーディアン紙に掲載された記事を契機に海外でも同様のトピックが話題になっていました。この記事によると、社会の物が男性基準で作られているために、女性にとっては以下のような問題があるようです。
・職場で推奨される冷房の温度が女性には寒すぎる
・職場での安全基準が女性の体格にあっておらず、労災に晒されるリスクも高まっている
・携帯電話やパッドが女性の手には大きすぎる
・音声入力ソフトが女性の声を認識しづらい
・車の規格的に事故に遭った時に女性の方が重傷・死亡する確率が高い
これらは「男女平等とは何なのか?」を考えさせられる興味深いトピックです。そこで今回はこの問題を考えるために、ジェンダー平等(Gender Equality)とジェンダー公平(Gender Equity)の違いについてお話しようと思います。国連勤務時代に講師としてこの手の研修をしていたので、やや事例が途上国に拠ってしまいますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
ジェンダー平等とジェンダー公平とは何か?
ジェンダー平等は、男女間の差異に関係なく、男女が等しく扱われることを目指すものです。具体的に言えば、大学進学率が男女で等しくなる、国会や地方議会で政治家が男女半々になる、といったものです。これに対してジェンダー公平は、男女間の差異を考慮して、社会的な成果が男女間で平等になることを目指すものです。
分かりやすさのために一旦ジェンダーのレンズを外してみようと思います。平等と公平の違いを最も分かりやすく説明する事例として、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センの議論をざっくりと引こうと思います。
目の前に足が不自由な人とそうでない人がいるとします。両者に自転車を与えた場合、二人は平等に取り扱われたと言えます。しかし、足が悪い人は、自転車を与えられても行動範囲が広がることはないですし、足が悪くない人が出来るようになった様々なことが出来るようになるわけでもありません。これが、両者が平等に扱われているけれども公平には扱われていない、という状態です。
この出来るようになることが、足の悪い人とそうでない人の間で平等になるためには、どちらにも何も与えないという選択肢もあり得ます。しかし、これは日本社会でもたまに見られる悪平等というものです。悪平等を避けつつ両者の間で出来るようになることの平等を目指すとしたら、例えば足の悪い人には自転車の代わりに電動車椅子を与えるという方法が考えられます。このように、両者が持つ差異を考慮して、社会的な成果(出来るようになること)が平等になることを目指すのが公平なわけです。
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