モテるお嬢様じゃないとヒロインになれないのか!と憤慨していた高校生の私~イプセン『人形の家』と『ヘッダ・ガーブレル』

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イプセン『人形の家』(岩波書店)

 ノルウェーの劇作家、ヘンリク・イプセンの戯曲『人形の家』(1879)と『ヘッダ・ガーブレル』(1890)はとても有名です。夫から一人前の人間として対等に扱われていないことに気付いて家を出て行く『人形の家』のノーラと、周囲の人々を振り回して最後は自殺するヘッダは、どちらも19世紀末のヨーロッパではかなりショッキングなヒロインでした。当時のノルウェー社会における女性の立場に鋭く切り込んだ作品で、今でもよく上演されます。

 2作ともフェミニズムの文脈で有名で、私は高校生の時に2冊とも図書館で借りて読みました……が、その時は全然、面白いと思えませんでした。でも、大人になってから舞台で見ると、こんなに面白い芝居だったのかとビックリしました。今回の記事では、なぜ高校生の私はイプセンを楽しめなかったのか、そしてなぜ大人になったら楽しめるようになったのかを書きたいと思います。

ノーラもヘッダも、私じゃない

 高校生の私がイマイチピンとこなかったのは、ずばり、ノーラもヘッダも良家の令嬢で、可愛くて、モテるからです。前回の記事で書いたように、子供の頃の私は全然可愛くありませんでした。ものすごい田舎に住んでいて、不細工で、勉強以外に得意なこともなく、社交スキルゼロで友達が少ない子でした。そんな私にとっては、ノーラもヘッダもけっこうムカつくヒロインだったのです。

 『人形の家』のノーラは、夫のヘルメルとか友人のクリスティーネの口ぶりからすると、とても可愛くて人に好かれる女性です。久しぶりに会ったしっかり者のクリスティーネに「あなた、相変わらず無邪気なのね?」(第1幕)などと言われているように、基本的にノーラは悪意がなくて明るく、人付き合いが上手です。きっと求婚者がたくさんいて、ヘルメルともやすやすと結婚したと思われます。暗くてひねくれて不細工でモテない私には、よくわからない世界です。

 『ヘッダ・ガーブレル』のヘッダはさらに問題です。ヘッダはノーラより暗い性格ですが、すごく魅力的で山ほど崇拝者がいます。研究者のテスマンと結婚したばかりで、素敵な家に住んでいます。そこに旧友である大人しくて感じのいいテアが訪ねてきます。第1幕のテアの口ぶりからすると、ヘッダは学校時代にテアの髪の毛を引っ張っていじめていたらしいのですが、ヘッダ自身はあまりよく覚えていません。テアはそこそこ可愛くて、大変真面目で知的向上心もあるのですが、ヘッダのような才知のきらめきや強烈な魅力は全然ない女性です。ところがヘッダはこんなパッとしないテアが、自らのかつての恋人だった新進気鋭の学者、エイレルトのために夫を捨てて出てきたことにショックを受けます。

 高校生の私には、単純な可愛子ちゃんみたいに見えるノーラや、ぱっとしない友達をいびっていたヘッダには全然、共感できませんでした。この2作で高校生の私が共感できたのは、たぶん学校時代はガリ勉で、ヒロインよりパッとしないけど自分で仕事をして生きていきたいと思っている、事務作業が得意で真面目なクリスティーネやテアです。でも、私はこの2人の扱い方があまり気に入りませんでした。

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