日本会食恐怖症克服支援協会の代表理事として、当事者の支援や教育施設への給食コンサルティング活動にあたっている山口健太さん。カウンセリングを行っていると、多くの当事者が会食恐怖症を発症するきっかけとして、学校や家庭における「完食指導」を挙げられるそうです。後編では、学校給食の現場に見られる「完食指導」と、その根本にある日本的な教育の問題点についてお聞きしました。
「食べてもらえない」のは、食べる側でなく食べさせる側の問題
――海外で「会食恐怖症」のような症例は見られるのでしょうか?
山口:一応できる範囲で調べてはみたんですけど、ほとんどと言っていいほど出てこなかったですね。「こういうふうに悩む人がいます」というような紹介記事はあるんですけど、「それに対してこういうカウンセリングをして~」っていう克服のメソッドがまとめられたページっていうのは、実は見たことがなくて。
――それはなぜだと思いますか?
山口:やっぱり日本人的な気質なんでしょうね。社交不安症に似たものとして、対人恐怖症がありますけど、日本ではかなり馴染み深い病名ですよね。この対人恐怖症がもともと日本で広く知れ渡っていて、それがアメリカに持ち込まれていって研究されて社交不安症という病名がついて、日本に逆輸入されているっていう経緯があって。だから、もともと日本的なんですよ。人の視線が気になるとかっていうのは。
——「ひとりの人間はこれだけのことをするのが当たり前」というテンプレートみたいなものができすぎているな、とも感じます。
山口:それこそ学校給食の完食指導とかもそうですよね。この間、カナダに住んでいる知人に「僕、学校給食のカウンセリングもしているんだ」という話をしたら、「カナダではそういう指導みたいなものがまったくないし、食べ物を残すこと自体に抵抗がない民族だから、日本の子たちが悩む意味がわからないと思う」って言われて。その人は日本人なので、日本人的な感覚も共有できるんですけど。そういう文化的なものもあるし、やっぱり日本の教育自体が没個性的というか、「こうするのはいいこと、でもこうするのはだめ」という極端なものじゃないですか。「こういう人になりましょう」っていう答えを提示されながら個性が削ぎ落とされていって、そうなれない人はあぶれちゃう。
——日本は食べ物を粗末にすることに対して強いタブー意識がありますよね。
山口:人によるとは思いますけど、日本人的な感覚としてありますよね。いいことでもあるんですけど、反面、過剰になりすぎると問題が起きちゃう。
たしかに農家の人からしたら残されるのは悲しいかもしれない。だけど、無理に食べさせられて子どもの心が壊れてしまったりする方が、もっと悲しいことなんじゃないかなって思うんですよね。実際にその現場を農家さんが見ていたら止めさせると思うんですよ。「うちの野菜をそんなに無理やり食べさせないで」って。「食べさせる」っていうのもそもそも言葉としてどうかと思ったんですけど……。食べてもらうノウハウみたいなものが乏しいなって僕は思うんですよ。「嫌いなものも残さず食べるまで居残りさせる」とか、指導と言えるレベルのものなのか? って。むしろ矯正とか体罰とか、そういうジャンルじゃないですか。
——学校給食の現場の問題点については、著書の中でもふれられていました。検討や工夫をしないまま、力押しで解決しようとしている。
山口:僕も食育や給食指導のことを勉強しているので思うんですけど、例えば料理人さんとか本を出しているような人とかに実際に会いに行ったこともあるんですよ。どういうふうに食を見ているのかなとか、食事っていうのを作っているのかなっていうのを結構興味があったので見たら、一流の人ほど「残される」っていうことに対しての自己責任感がある。つまり「食事を残されるのは作り手側・提供する側の問題であって、食べる側の問題ではない」というふうに見ているんですよね。それは家庭の食卓や学校給食の現場でも、けっこう大事な価値観なんじゃないかなと思いました。
「食べさせる」ことが教育なのではない
——著書の中で紹介されている「さくらしんまち保育園」の給食指導、あれはとてもいいなと思いました。セミビュッフェ形式になっていて、子どもたち一人ひとりが自分の食べる量を選択できるようになっている。
山口:あそこの給食は、すごくいいですよ。本の中ではセミビュッフェ形式の話とかしか取り上げていないんですけど、実はもっと他にもすごいことをしていて……。
給食がね、ヨーロピアンスタイルなんですよ。というのは、日本の学校給食って、時間は12時20分から、20分かけて準備をして、40分でいただきます、13時までにはごちそうさま。だから食べる時間は20分っていう区切り方をされているじゃないですか。でもここは、給食の時間が2時間ぐらいあるんですね。しかもセミビュッフェ形式だから、好きな時間に行けるんですよ。
——空いている時間に学食に行く、というのと同じような感じで。
山口:そうそう。カフェテリアみたいになっていて。なんでそういうふうにしたんですか、って僕も聞いたんですよ。そうしたら「朝ごはんを食べる時間がみんな違うから」って。学校だったら8時15分から1時間目、みたいな感じだけど、保育園って違うわけですよね。ご家庭によって、7時に保育園に連れて来なければならないところもあれば、9時とか10時になるところもある。そうなると、子供たちが朝ごはんを食べる時間っていうのは1時間2時間ずれているわけです。だからヨーロッパの保育園を参考に、そういう形にしたっておっしゃっていて。
——個々の状況の違いをふまえたうえで対処されている。
山口:あそこは月に一度、給食会議というのもやっているんですよ。栄養士さんや調理師さんはもちろん、園長先生、園の担任の先生が全員集まるんですけど。子どもたちが給食でどれぐらいの量を食べているか、咀嚼とか嚥下の発達はどれくらいか、食べ物は何が好きで何が嫌いかとか、どれぐらいのペースで食べられるか、っていうのを全部リスト化して管理しているんです。
——それは、ものすごい労力がかかる作業ですね……。
山口:「なんでそんなにできるんですか」って園長先生に聞いたら、「食が全てを表すから」っておっしゃっていました。つまり、食欲がない子っていうのは何か問題を抱えていると。友達関係かもしれないし、親子関係かもしれない。「食」っていうのを見ればその子の状態がわかるし、逆に言えば、「食」が良くなればその子自身もどんどん元気になっていく。そこに集中して対処することによってみんな元気に過ごせるんですよ、って。僕もそれはすごくよく分かるし、なるほどなと思いましたね。食欲が出る状態を作るっていうのは、日常生活を元気にしていくことに繋がるっていうのは実感していたので。
――学校給食の現場で、そういった指導は可能なのでしょうか。
山口:ビュッフェ形式が無理でも、個別に量を調整する時間を設けるとか。引っ込み思案な子もいるかもしれないので、そういうときは先生が聞いていったりとか。やっぱり一人ひとり対応していくっていう意識がないと、なかなか食べてもらえるようにはならないと思うんですよね。「この子はこれが苦手なんだな」「この子に対してはこうしよう」っていうのって、結構個人差があったりするので。あと、先生が子どもの班に混ざって給食を楽しく食べているクラスは、比較的残飯が少ないと思っています。
——その個人によっての違いを、自分自身で把握できるようになったら楽ですよね。
山口:そうですね。この間、AbemaTVで共演した乙武洋匡さんが番組中に言っていたんですけど、「食べさせるのが教育なのではない、どのぐらい自分が食べられるのかを把握させてあげることが教育」なんだって。ただ、今の現場では「とにかく食べさせる」っていう負のバトンがどんどん受け継がれてしまっているかな。どこかで革命を起こして、断ち切らないといけない。実際、学校という場所では先生たちもエネルギーを消耗したり、ストレスを抱えていたりするわけですけど、その現場でいかに取りやすい方法を提示できるか。やれることから少しずつやっていくしかない。まず今日からできるのは「居残りをなくす」っていうことですよね。
(聞き手・構成/餅井アンナ)