「寄り添う」でも「理解する」でもない、ともに学ぶ「LGBT」/石田仁×金田淳子

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『はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで』(ナツメ社)

『はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで』(ナツメ社)の著者で、ジェンダー・セクシュアリティの研究者である石田仁さんと、社会学・BL(ボーイズラブ)の研究者である金田淳子さんとのトークイベント「カネジュンとともに学ぶLGBT」が、2019年1月に行われました。「LGBTブーム」と言える昨今、本書刊行の意義や経緯、わかりやすさのためのイラストに秘められたこだわり、ジェンダー・セクシュアリティ関連の入門書で取り上げられることがなかったというBLについて、ユーモアを交えながら既知の仲のお二人が話していきます。

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石田仁(いしだ・ひとし)
性的マイノリティをテーマに幅広く研究。専門は男性同性愛の戦後史。グループ研究では性的マイノリティに対する意識調査も手がける。主著に『はじめて学ぶLGBT─基礎からトレンドまで』(ナツメ社、2019)、編著に『性同一性障害─ジェンダー・医療・特例法』(御茶の水書房、2008)、共著に『性欲の研究─東京のエロ地理編』(平凡社、2015)、『セクシュアリティの戦後史』(京都大学学術出版会、2014)、『図解雑学ジェンダー』(ナツメ社、2005)など。博士(社会学)。成蹊大学などで非常勤講師。

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金田淳子(かねだ・じゅんこ)
やおい、ボーイズラブ、女性向け同人誌など、いわゆる「女性を主な担い手とするおたくカルチャー」について研究。やおい的、またフェミニズム的な視点から、少年マンガ、ドラマ、映画などポピュラーカルチャー評論も行っている。共著に『文化の社会学』(佐藤健二・吉見俊哉編著、有斐閣、2007)、『オトコのカラダはキモチいい』(二村ヒトシ・岡田育・金田淳子、KADOKAWA、2015、文庫版2017)。

『図解雑学 ジェンダー』から13年

石田 今回のこの本、実は後継書なんです。最初の本は、ナツメ社から出ている「図解雑学シリーズ」の『図解雑学 ジェンダー』というものです。加藤秀一先生と、海老原暁子先生といっしょに書かせていただきました。

金田 『図解雑学 ジェンダー』は、ものすごく良い本なんですよね。「初めて読むジェンダーの本でわかりやすくて良いものはないか」って聞かれたとき、まずこれを挙げることにしています。網羅的に、見開きごとにテーマがあって、(そのテーマごとに)参考文献がついてるから自分が興味あるところをさらに読んでいける。あと何回も改訂されてるのでデータも新しくなっているし、研究者から見てもわりと深堀りしてある。ただ唯一薦めづらいのは表紙で、この本が良いって伝わりにくいじゃないですか(笑)。でも2005年に出版された当時、石田さんに「これちょっと表紙がいまいちだと私は思います」って言ったら、「僕はエヴァンゲリオンみたいでいいと思う」って。

石田 こういうのいるじゃないですか? 

金田 それ、私たちの知ってるエヴァンゲリオンと違います! 石田さん見てないんじゃないか!? と思ってました。

石田 エヴァンゲリオンに対する解像度が金田さんと僕とで100倍ぐらい違うということですね。あ、客席から量産型って聞こえましたが。

金田 100倍っていうか全体が違う、量産型のあれともちょっと違うような……って、そういう問題じゃないんですよ!

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『ジェンダー (図解雑学) 』(ナツメ社)

セリフにクイア性を潜ませる

石田 ナツメ社からは後継書の位置づけで、現在展開している「スッキリわかる!」シリーズでの出版を打診されました。このシリーズは表紙の下にマンガがついていて、本文のレイアウトにおいても図解やイラストにこだわっています。打診は2016年の秋でした。しかしすでにLGBTの本はたくさん点数が出ていて、雑誌でもあらかたLGBT特集が組まれ、一巡していました。だから実のところあまり乗り気ではなかったんですね。最初打ち返したメールには「LGBTの本は飽和している」と書きました。

金田 確かにたくさん出てた感じはある。

石田 専門家向けの本も多数刊行されていたので「明確な差異をつけないと中途半端なものになる。けっこう厳しいです」とも書きました。しかし、前書で大変お世話になった編集者や編集プロダクション(office 201)の方も編集体制にいらっしゃったし、私がPCの参考書で分かりやすいなと思っている本がナツメ社の刊行でもあることを考えると、このメンバーなら本質にして簡明を目指すLGBTの本がつくれるのではとも思ったんです。相談をしていた加藤秀一先生からも、「『図解雑学 ジェンダー』のように大学生中心の読者を想定し、広くトピックを扱いながらも一歩踏み込んだ内容かつ中項目事典的な利用法もある本だったらいけるんじゃないか」と連絡があったんです。

金田 建設的なね。

石田 ですです。そうした本が作れるのならば「新企画は十分に意義があり、それほど悲観しなくてもよい」という助言をもらいまして、企画はスタートいたしました。ただ、最初の原稿をあげるまでにすごく時間がかかったんですね。日本のLGBT状況を網羅してほしい、そういった入門書はないはずだ、というのが編集側の目論見で、たしかにその通りなんですけど、「網羅」ってどこから手をつけるの? みたいな。企画が通ってからうっかりゆうに半年は寝かせてしまった、みたいな。書けなくて自尊心はどんどん低下していく。下がった自尊心は乳首を開発して向上させよう、みたいな気の迷いもありました(笑)。

そこから2年、2018年の8月にようやくほぼすべての原稿を出し終えました。ちょうど杉田水脈問題が燃えさかっていた頃です。10月に下旬に初稿ゲラを戻し、二稿ゲラを戻し、1カ月後に色稿を戻しました。原稿があがってからすごいスピードです。どんだけナツメ社とオフィス201さんが頑張ったかって話ですね。最後の方は、ゲラがあがってきて翌日に返すことをしましたのでファミレスで徹夜。そのまま健康診断いったらγ-GTPが4倍の値になっていてめでたく再検査です(笑)。で、びっくりしたのがイラスト。二稿までと色稿とでは違いがあって、頬骨のところに老け線が入ったんですよ!

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『はじめて学ぶLGBT』(ナツメ社より転載許諾済、以下同様)

金田 急にね。石田さんがすごい気にされてるんだけど、私は単に頬骨を表す漫画の記号だと思ってて。

石田 あれだけ原稿出すのが遅れたので、これは意趣返しだ、なっなっナツメ社やりやがったー!と思いました(笑)。この線ひとつで10歳老けこむ強力な魔法です。でも、思い直したんです。今回もナツメ社は、10年経ったのちにも売ろうとしているのだろうと。出版業界が厳しいこのご時世で、前回の『図解雑学ジェンダー』は10年以上も売れ続けている。

金田 綺麗にまとめないでいただきたい。これは単なる線ですね(笑)。

石田 まあ冗談はともかく、いろいろと工夫していただいたので、今日はイラストに主眼を置いてトークをしたいのです。例えば日本人男性の約5%は色覚障害を持つと言われているんですね。いろいろと調べていただいた結果、同じ二色刷りでも、他の「スッキリわかる!」シリーズにあるようなピンクっぽい色ではない方がよいことが分かりました。

金田 オレンジっぽいのにした。

石田 はい。LGBTについて考えるってことは、ほかの様々なマイノリティについても考えるということかと思います。ほかにもいろいろとイラストに関する試行錯誤をしました。例えば第3章「性的マイノリティの心と体の健康」の扉マンガ、ここですね。

金田 (石田さんといっしょにいるトランス女性の歌手に)「ファンです」って、歓喜する男子学生のたくやがいますね。

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石田 ドラフト(試案)の段階で、歓喜するのは女子学生のめぐみだったんですね。マンガパート全体を俯瞰すると、感情の形容詞は女子学生が発することが多く、理知的な説明を男子学生がしているって展開になっていた。確かに一般の読者にしてみたらこれが当たり前と思うかもしれません。

金田 偏見を利用してわかりやすく読ませるという手法はよくマンガとかでも使われてるわけですけど。

石田 なるほど。そういう手法を意識した上で描いているイラストレーターさんはすごくスキルが高いと思うんです。でもこのまま出したらちょっと問題かもしれない。ほかならぬ、ジェンダーやセクシュアリティの本ですものね。だから男女登場人物の発言を逆転させました。あとトランス女性の歌手と私の背の高さもドラフト版から変えてるんですね。これは私の背が低いからですけど(笑)。

金田 本当だ。石田先生の背が低くなってる。

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石田 他にも例を挙げましょう。第4章「性的マイノリティをとりまく法律上の問題を考える」の扉マンガです。同性婚の新婚旅行で日本にやってきた男性カップルに対して、居酒屋でバイトをしているたくやが接客をして、その後、めぐみや「石田先生」に話す場面です。原案では、めぐみが接客をしていて、最後のコマでめぐみが「いいな~、世界旅行。ロマンチックね~」って嘆息して、たくやが「落ち着いて」のツッコミで終わっていたんですね。

ここにも感情に没入する役と理性的に諭す役があり、前者が女性に、後者が男性に割り当てられていた。なので、逆転させました。ただし、完全にひっくり返すんじゃなくて、「あこがれるわ〜」としました。男性が「わ~」を使っていると「おや?」と読者は思うでしょう。ひっくり返ししつくさず、わざと残せば、社会が期待する男女のジェンダー役割を浮き彫りにできると思ったんです。模倣を完全な模倣にしないことで、クィア性を帯びさせられるかもしれないと考えました。

金田 男の子だけど「あこがれるわ」と(女性ことばとされる語尾で)言わせることで、「それもありじゃないか」と読者に思わせるってことですよね。

石田 ──という話を授業でしたんですけど、ある学生から「今“あこがれるわ~”って男女共に使いますよ」って言われまして、私のセンスが昭和であることが分かりました(笑)。とはいえ、男性は「あこがれるわ~↓」とは言うけれど「あこがれるわ~↑」とは言わないですよね? イントネーションを制御することで話者自身が男であることを周到に自己呈示しているとは思うんですけどね。マンガパートにおける男性の登場人物が男らしさからどう距離を取るのかは、本書を作るにあたって難しかった点の1つでした。これもそうです。

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ここにお見せするのは、「石田先生」がマンガのキャラクターとして最初に登場する重要なコマです。あいさつの言葉として、ドラフト段階では「やあ」って書かれていました。けど、まず自分自身が「やあ」って使わないということと、「君たち」…「やあ」の流れがちょっと男性っぽいなと。「男性的なるもの」から距離をとるために、「こんち」というセリフに変えたんです。

金田 いまお客さん全員わかったじゃないですか、一瞬で。(会場爆笑) これはどうしても別のものに見えてくるかな(笑)。

石田 会場にいるナツメ社の担当者さんは気づいてましたか……?(首を横に振る返事) 今日のお客さんはリテラシーが高すぎるのではないかと(笑)。というのもですね、本シリーズをいろいろと読んでいると、ナツメ社は、それぞれの本の著者を人畜無害な方へ方へと描こうとしているんですよ! この本を出した後も、研究者から一番受けた批判は「これは石田さんじゃない爽やかな別の何かだ」と言われたことでした。ナツメ社の人畜無害化に対抗しつつ、「男性的なるもの」から距離を置きたかったので、「その」言葉を逆さにして「こんち」を入れておきました。ナチスが同性愛者をこの世から抹消するために逆三角形のピンクトライアングルの標章を囚人服に縫いつけて強制収容所に入れていたことがあったんです。のちの1980年代、エイズ危機の時代に国がエイズ患者や性的マイノリティを黙殺しているときに、社会運動の文脈においてはそのピンクの三角形を逆にして“We’re here, we are queer, get used to it!”(「わたしたちはここにいる、わたしたちはクィアだ、いい加減それに慣れろ!」)と主張しました。それと同じ精神でですね──

金田 高級そうな感じに言わないでください(笑)。「こんち」は流行っていくんじゃないですかね、今年の流行語大賞的な。あとこの3ページの致命的な誤植について言っていいですかね。

石田 すいません、そうです。誤植があるんです。

金田 「トランスジェンダー(性別超越者)」って書いてあるんですよ。3度見くらいしちゃいました。超越ってニーチェっぽい感じ? 私が不勉強なだけで最近はそういう訳を使うの? って石田さんに聞いちゃって。

石田 三橋順子さんも指摘してくれたんですが、そのときも「最近はそう言うのかな?」みたいな感じで聞かれたんで……。すみません、言いません。

金田 超越者っていう言い方あるんだろうなって思いますよね。これはちょっと恥ずかしいページなんで、みなさんさらすのやめてくださいね。多分2刷で直る。

石田 2刷で直ります。そのためにも1刷が売れないといけない!(※2刷でなおりました)

一方的な「なぜ」から、自発的な「どのように」の問いへ

石田 今回この本の中で、BL(ボーイズラブ)に関するものを3項目、6ページ書かせていただきました。

金田 BLって、触れたくないのか、ジェンダーやセクシュアリティ研究専門の人がよく知らないジャンルなのか、女性の間で一大ジャンルになっているのに、この手の「LGBTの入門書」ではまったく触れてないらしいですね。

石田 そうですね。Q&Aでちょっと出てくることはありますけど、「BLの登場人物とゲイは違う」それで終わり、みたいな。それ以上踏み込んだ本は、私が見た限りでは1冊もないですね。

石田 ここではじめて会場の皆さんに明かされる事実ですが、実はBLの各項目のタイトルや内容についてはBL研究者である金田さんと掘あきこさんに相談していました。最初の項目名を見てください。「ボーイズラブ / 女性が女性向けに描く 男性同士のラブ&セックス」(会場爆笑)

金田 「男性同士のラブ&セックス」。もともとは「男同士の恋の物語」だったんですね。私としてはきれいごとをぬかすなと。書いてんのはラブだけじゃねえだろと。

石田 ラブ抜きの物語もある、物語ではないものもあるっていうことですよね。

金田 「セックス&セックス」みたいな作品もあるから、少なくとも「恋愛とセックス」とかにしろと。それが座り悪いんだったらラブ&セックスにしたら? って。

石田 おかげでここだけ『an・an』みたいな項目名になりました。だから読むとキレイになります(笑)。BLの項目の原稿については、つくり手、読み手の定義やコミケの説明、イラストなど、仔細にわたりコメントをいただきました。金田さん・堀さんありがとうございました。

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金田 ──と丸くおさめたいところですが、このイラスト、メインのサークルが若干となりのサークルにポスターをはみ出して貼ってますね。これはちょっと迷惑行為ではないか。

石田 ええ!?

金田 と私は思ったんですよね。両隣のサークルさんが気にするだろうし、スタッフが指導してくるなと思った。あと、若干小さい会場であることもわかる。なぜかというと、壁の位置がすごく近いからですね。コミケの規模ではない。

石田 コミケよりは小さめな会場の即売会だと。

金田 イラストがけっこう細かく描かれてるので、ここからつかめる情報がいっぱいあると思いました。ともかく、このBLに関する6ページに関しては、イラストも入ってるし、字数も少ないのに要点をつかみよるな、枝葉末節にとらわれねえわ、骨太だわってすごい感動したんですね。ポスターの位置とか気にしてる場合じゃなかったんですよ!(会場笑)

石田 いい先行研究がBLで出ているからですよ。

金田 いいこと言うな。社会学者・金田淳子さんって人の整理の仕方がすごいわかりやすかったということですね。ちょっと先行研究を見ていきますか。

石田 いきましょう。金田さんが先行研究をまとめた経緯やBL研究をやってきたいきさつなどを説明していただいてもいいですか?

金田 私がやおい研究を90年代に志したときには、ほとんどアカデミックなものはなくて、やおいに関する社会評論みたいなものが多かったんです。やおいを読んだり書いている当事者によるものであっても、なんで私たちは女なのに男同士の恋愛のこと書いちゃうんだろう? なんで好きなんだろう? っていうことをずっとやってたんですよ。ほとんどが。有名なところだと中島梓さん=栗本薫さんの……

石田 『コミュニケーション不全症候群』(筑摩書房)。

金田 そうそう。やおいの小説ジャンルで、『JUNE』(マガジン・マガジン)という専門誌から後輩を出していくにあたって立役者となられた方が、コミュニケーションが過剰適応――要するに社会との関係が不適切な人たちがやおいを好きになる女性であり、あとは拒食症の女性、おたくでロリコンの男性だ、とその本で書いたんですね。これは大変な偏見でもあるんです。その本が出たときにすぐ読んで、こんなのあってはならないと思ったんですよ、正直。私がずっとやおいが好きできたのは、社会に対して適応の仕方が間違っていて、「いずれ治されなければいけない疾患」みたいに言われるためではない。と。そのジャンルの大家である人にすら、やおいが好きなのは間違ったことで治さなければいけないことのように言われてしまったわけです。当時はほかにその手の評論本がなかったというのもありましたし、本当にそうであるかのように社会に受け取られていたというのもあって、生きづらすぎるだろ、てめえと思って。

石田 中島さんの本に言葉を奪われたような感じだったと。

金田 その当時は、今よりももっとやおい好きの自分を後ろめたく思えっていう世界ではあったんで、事実として、「自分たちはいけないことをやっているんだ」と思っている当事者も多かったとは思います。けど、私たちはやおいを描いたりみんなでキャッキャって同人誌やってるとき、こんなに楽しいのに、やおいを論じる時、なんでこの楽しさが注目されないんだろうと思ったんです。そこで、まず、先行研究というか言説を集めてみたんです。そしたら本当ろくでもない言説しか出てこないんですよ、90年代って。「女性にはオタクはいない」って言い切ってたりとか、やおいを好きになる理由を「性的に未熟なので性が恐いから」っていう説明が多かったり。もし本当に性を恐れてるからだとしたら、異性愛の男性たちが親しんでる創作も、ほとんどのものが、性を恐れてるから読まれてるってことになりますが、なぜか男性はそういう風には言われないですよね。あと「女性が嫌いだから女性キャラを出したくない」っていう説とか、男への復讐説とか、そんなのばかりで。

石田 そのころ「なぜの問い」が充満してたんですね。

金田 この論点について私が整理したとき、私も心理学と精神分析に対する理解の低さから、かなりいまいちなタイトルをつけてたんですけど、それを石田さんがちゃんと翻案してわかりやすくれました。〈「なぜ」の問いと「どのように」の問い〉っていう。BL好きですって言うと、「なんで好きなの?」って繰り返し聞いてくるわけですよ。石田さんの本では〈片道通行〉って書いてくれてますけれども。

石田 常にマジョリティが透明で安全な立場に立ったまま、マイノリティに「なぜ」という問いを発している。

金田 あなたは一般と違う、変わってる、正常じゃないからこの問いに答える義務がある、みたいな感じなんですね。自分自身も一般とは違うなっていう意識はあるからついつい真面目になって答えなければいけないと思ってしまうんだけど、本当は答えなくていいはずじゃないですか。じゃあなんであなたは男女の恋愛ものが好きなの? って聞き返せばいい。あと、百合ものが好きな男性に関しては、ほぼこの問いがされていないんですね。男性が女の子に惹かれるのは当たり前、女の子同士のピュアなものであればより一層惹かれて当然、とされている感じがある。

石田 女性が男性同士を好きな理由は聞かれ続けるけども、逆はそうではないってことですね。

金田 この問いって、恐らくセクシュアル・マイノリティの人が置かれてきた状況と似ている。なんで男なのに男好きなの? とずっと言われて、それを説明しなきゃなんない気持ちにさせられているという。

石田 なんで女なのに女が好きなの? なんで女から男になるの? もそうですね。

金田 だったら、おまえはなぜ男で女が好きなのかを説明しろよって。石田さんは『はじめて学ぶLGBT』でさらに踏み込んで書かれていて。

石田 金田さんの論文に書かれている内容を私なりに言い換えると、「なぜ」の問いとは別に、「どのように」の問いが立てられるんですね。この「どのように」っていう問いはいろんな展開の仕方ができる。例えば、今の日本や世界において、男同士の絆を男性同性愛的な欲望として読み取らせないような社会構造があるわけですね。それをイヴ・セジウィックは「ホモソーシャルな社会というものは同性愛嫌悪(ホモフォビア)と女性嫌悪(ミソジニー)から成り立っている」と説明しました。ホモソーシャルな社会では男たちが利権を握っていますが、その男同士の距離が近かったり親密だったりすると、「ホモじゃないから」っていうふうにことさらに否定しなければいけない。そういった世の中の男たちのお作法がある。しかもこのお作法によって同性愛蔑視は社会で一層増大する仕組みを持っています。

金田 私たちが「それBLじゃん」っていうと、「女の子にはわかんないだろうけど男にはこういう友情があるんだよ。同性愛じゃないんだよ」っていうふうに言ってきたりするわけですね。

「簡単に受け入れない」リアリティ

石田 こうしたホモフォビアに基づく社会構造の中で、最近のBL作品の中には、その社会構造をきっちり描きつつも、男同士の登場人物が背景となった社会を乗り越えようとする作品が出てきました。これらのBLは、社会のあり方を変える可能性を示す1つの方法になるのではないか、という議論があるんですね。読んでいて良いなあと思わせるBLが増えました。

金田 描いてる人たちは「そういう意図じゃないから」ってわりと言うんですけど、意図とは関係なく起こっている。溝口彰子さんが『BL進化論』(太田出版)で、ゲイフレンドリーかそうでないか、という視点で、良くなかったものと、良いと思われるものとを、ちゃんと例を挙げる形で論を展開されています。

石田 作品のユニークさを追求することと、その作品から社会一般の構造を説明するということを同時にやっているわけですね。

金田 手前みそながら、「ユリイカ」2018年12月号で「雲田はるこ特集」が組まれていて、そこで私は、雲田はるこさんのBLにおける位置づけを問い直す、BLの中でも特殊だってことを書かせていただいたんです。ここでBL作品を、主人公カップルの外見の差と、物語の傾向という二つの軸でマッピングしています。物語の傾向をもう少し説明すると、一方には、物語がそのカップリングの二者だけでまわってほしいし、周りの事件や人々はその添え物、道具であるという描き方があります。

石田 それが天動説BL。

金田 そう。対して、地動説BLは、主人公カップルはもちろんいるんだけど、その周囲の人々で、かつそのカップルと別に恋愛関係とかでもなんでもない第三者の人の事情まで含みこんだ人間ドラマがうかがえる描き方です。天動説と地動説では全然作品性が違うわけですが、とはいえこれはBLの多様性を提示するための軸なので、どちらのほうが作品として優れているということではありません。また、天動説が多くなりやすいというジャンルの特性もあります。BLって続編まで描けるほど売れる作品は特殊なんですね。長編ならまだしも短編では第三者を織り込んだものはなかなか描けないので、単純に紙幅の関係で、二者関係が多くなりがちなんですね。雲田はるこ作品を分類するとしたら、地動説の中でもかなり第三者について踏み込んで描いているものになります。

BLにおける第三者の描き方で今回、注目したいのは、女性キャラの描き方です。雲田さんの作品では、主人公カップルがゲイであることを受け入れられない女性たちが出てきます。重要な他者である、お母さんや妻が受け入れられない。複雑で、リアリティのある人間関係なんです。そもそも歴史的経緯を言えば、この20年ぐらいのBLの女性キャラって、初めから主人公について理解しきった人が出てきがちなんですね。有名作家の作品から、わかりやすい上質な例を挙げるとするなら、たとえば、よしながふみ先生の『1限目はやる気の民法』(単行本1998年)があります。特に仲いいわけでもなかった女性の友達がふたりの仲を見抜いていて、陰ながら応援してくれるという描写がありますね。

石田 それ以前の時代では、ホモフォビアな表現がBLに蔓延していた。その後、世間がLGBTに許容的になるにつれなのか、ホモフォビアを全開するBLは「ダサい」表現になっていったからか分かりませんが、淘汰されていきました。しかしこの新しい段階における作品には、ゲイとして主要登場人物が出てきて、その性的指向をことさら問われないものや、ゲイを祝福する物語を持つような、ホモフォビアを物語から抹消した作品も多かった。これが2000年代半ばから後半の動きですね。その次の段階として、このどちらでもない、「受け入れきれない」物語を描くという、時代的な蓄積があったんですね。

金田 そうです。90年代末に、主人公がゲイであることを理解してくれる女性キャラが出てきたのは当時ひとつの進歩ではあった。その前のBLでは、たとえば恋敵の女などの類型があって。

石田 当て馬。

金田 当て馬として出てきて、私もその当時は、その女性キャラを見るのがつらいっていうか、こんななら出てこないでほしいという気持ちになりました。その後に出てきた、女性たちが男性カップルを理解して応援して、男性カップルにも感謝されてみんなハッピーみたいな作品を見ると、やはりほっとしますし、自分もこうありたいなと思う。けど、雲田はるこ先生が『いとしの猫っ毛 小樽篇』で描かれているように、母親が息子からカミングアウトされて、さらに前々から義理の母にあなたの育て方がおかしいと言われてる状況が現実にあったら、簡単に受け入れられる? と考えさせられますね。雲田先生のBLマンガは、こういう風に、主人公たちに対していじわるに見える人が出てくるんですが、その人なりの事情があってそのカップルを素直には祝福できないという部分も描かれていて、リアリティがあると思うんです。事情があればホモフォビアがあってもいいんだ、というわけではなくて、現実にはホモフォビアがまだはびこっている社会なので、男性カップルを受け入れられない女性が、主人公たちの身近にもいるだろうという状況を、あえて描いている、ということですね。BLの女性読者が安心しやすい、主人公を理解しきって応援する女性キャラクターという類型から、一歩踏み込んで、新しい女性キャラを描いているなと思います。

必要なのは「いつも初めて学ぶ一歩」という態度

石田 実は今回の本のタイトルとして出版社が推した案は『知っておきたいLGBT』で、副題に「気持ちに寄り添い理解する カミングアウト、同性パートナーシップ、SOGI、セクシュアルマイノリティ」と付いていました。長っ! スッキリしない!(笑) 「知っておきたい」でよいのだろうか。上から目線ではないだろうか。書中ではLGBT研修の危うさのことも触れていますが、ここまで知ればオッケーというものはないだろうと思うわけです。私たちは全員、入門者です。そうしたことを考えて「はじめて学ぶ」にしてくださいとお願いしたんです。

金田 ちょっと脅迫的ですよね。

石田 「気持ちに寄り添い理解する」も気になって。

金田 これも上から目線だし、今の話に繋がりますが、そんな簡単に理解できんのかよとも思う。

石田 新聞などのメディアでくり返し表現されている「ありのまま」の「理解」って、マジョリティにとってもマイノリティにとっても、危うさを持つと私は思います。私は歴史研究をしているので、かつて「LGBT」とか「当事者」という言葉もない時代における性的マイノリティに該当する人の言説も追っています。昔の「当事者」は、“社会は変わらないといけない、そのために私たちも勉強する、勉強することによって私たちも変わる”って言ってるんです。80〜90年代ですね。これがいつしか変わってしまって、残念なことに当事者が勉強しなくなりました。“このままの私でいい”って言う言説って、自分を変えないばかりか、現状の社会構造を是認する態度と隣り合わせでもあると思います。男性の特権性に気づかないゲイが「俺たちなんにも差別されてないから権利とか別にいいっすよ」って涌いて出たのが2018年でした。

金田 別にLGBT政策いらないよみたいな。男性としての特権を保持したままっていうことですね。

石田 それは無自覚なままですね。なので、外してもらいました。「寄り添う」という言葉はあまり使いたくないです。

金田 そうそう。そんな簡単に寄り添えない。たとえば、BLは基本的に女性が女性のために描いているジャンルで、ゲイのためのジャンルではありません。それなのにBLを読んだだけで、現実のゲイを理解したとか寄り添えたとか簡単に思ってしまうとしたら、そのほうが危険だと私は思います。

石田 だからこそ、自戒も含めてなのですが、私たちはすべて、いつも初めて学ぶ一歩を踏み出す人であるという意識でありたいです。みんなで勉強して、みんなも変わってって、社会も変えていきたい。そのための一冊になれたら嬉しいです。
(取材・構成/鈴木みのり)

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