
百女百様/はらだ有彩
見渡す限り黒、黒、黒。
黒いスーツ、黒いパンプスと革靴、黒い鞄。黒またはベージュのコートは入り口で脱いで腕にかけておく。黒髪は左右になで付けるか、頭の後ろの高すぎない位置に一つにまとめる。白い襟が全員の首元に等しく覗いている。
私は行き交う黒い人々の中に立ち尽くしていた。といっても就活中ではない。入社3年目、当時勤めていた広告会社の新卒採用のため、合同企業明会の雑用係として駆り出されていたのだ。
展示会什器独特の、彩度が高く明度が低いネイビーと、黄みがかった鈍いグレーで簡素に飾り立てられたブースが立ち並ぶ。会場の隅の小さな一角で、私は目を回していた。
目を回していたなどと言いつつ、自分だってリクルートのまま新調していない、黒ずくめのスーツを着ているのである。DTPデザイナーとして入社した私は途中で営業部に移り、クローゼットから引っ張り出してきたリクルートスーツを間に合わせで着ていた。セミナー会場に立っていると、学生さんに紛れて会社案内のパンフレットを渡されてもおかしくない。
今思えば私の挙動が不審だったからかもしれないが、弊社の小さなブースにはあまり人が来なかった。暇だからと言ってじっとしているわけにもいかず、文字通りの「黒山の人だかり」を不審な微笑みとともに曖昧に見つめる。
黒い色の隙間に見え隠れする人々の顔は、意図的にあっさりと作り込まれていた。ごく薄いファンデーションに、ベージュのチーク、ベージュの口紅。その仕上がりがいっそう黒い布地を際立たせている。
その中にふと明るいノイズを感じて、ぐるぐると彷徨わせていた視線を一点に戻す。
広い通路の向こう、中規模ブースの前に立っていた女の子は、他の学生さんたちと同じく黒いスーツを着ていた。ごくベーシックな膝までのスカートタイプ。しかし、なぜだか妙に気になる。違和感なく見慣れているような、とんでもなく見慣れないような、この感じは何だろう。
そこまで考え込んでようやく分かった。乱れ気味に解かれた彼女の髪色は明るく、真っ赤な口紅がひときわ強く濃く塗られていた。
リクルートに限らず、ビジネス・ファッションというものは不可解である。とりわけ女性におけるスーツ・スタイルというものは。
19世紀のラウンジコートや18世紀のフロックコート、17世紀のヴェストまで遡ることができるメンズ・スーツに対し、ウィメンズ・ファッションはそもそも上下が分かれている服を着られるようになった歴史が浅い。フランスでは18世紀後半頃から、狩猟の流行や衣服の簡素化に伴いジャケットとジュップ(スカート)という概念が見られ始める。19世紀に入ると乗馬服「アマゾーヌ」や狩猟服「スペンサー」、テニス用スーツなど、身体を動かす目的によって漸く女性の服はセパレートされていった。ちなみにパンツ着用のセパレート・スタイルは19世紀の終わり、サイクリングの流行とともに普及した。
日本のビジネスシーンに舞台を移そう。「女性が勤務中に着る、ジャケットとボトムスに分かれている洋装」という意味では大正初期のバス車掌のスカート・スーツや、女性記者の背広とネクタイが見られる。大正末期にはジャケットにパンツ着用のバス車掌の写真も撮られている。その後、女性用スーツは長らく、言葉通り「上下が分かれていて、その両方が同じ意匠で統一されている洋服」という立ち位置で変化していった。
現代のスーツを逆算的にウィメンズ・ファッションの歴史の中に探すとすれば、イヴ・サンローランが1966年に男性用のタキシードを女性服に「取り入れて」作った「スモーキング」が思い出される。時を同じくして60年代後半、日本の女性たちもパンタロン・スーツを着た。
とはいえ、いわゆる男性ファッションの文脈での、コードとしてのスーツを全女性社員が揃って着るということはなかった。多くの女性の身体に胸があるため、ジャケットのパターンが制限されるからだろうか。はたまた、「職場の花」としての彩りを重視して強制しなかったのだろうか。
その代わり、事務員として入社した多くの女性に事務服が支給された。早稲田大学の原克教授によると、事務服の先駆けは大正時代、着物で通勤する女性がデスクワークで袖を汚さないよう、動きやすいよう覆うためのものだったという。機能性から発祥したこのユニフォームに「女性社員の給与が少なく、仕事服をそろえることが負担になる」「私服ではドレスコードの統制が難しい」などの理由が合わさり、ファッションに働きかけるための事務服が定着していった。そのほとんどがひざ丈スカートを基調とするものだったこと、事務員=女性というステレオタイプに由来していたことから、1985年、男女雇用機会均等法の時代に事務服は糾弾され下火になっていった。同年に発行された女性ファッション誌『CLASSY』3月号には「オフィス・ファッションに、今これといった答えがないのが現状です」と書かれている。
機能的なツーピースやパンツスタイルから遠ざけられ、隔離されている間にそのスタイルが「ビジネスシーンでの正装」ということになっていて、仕事をするときも「限定的な仕事だし、服は華があればいいよ」と言われ、私服で出社すると「風紀が乱れる」と後から規定を言い渡され、規定された装いはスカート一辺倒である。……と、変遷を乱暴にまとめると「ぶれぶれじゃねーか!」という感想を抱いてしまうのであった。
で、リクルート・スーツである。
就職活動において、男子学生のスーツ化は1970年代から始まり、1981年には大手百貨店・伊勢丹が会社訪問のためのファッションショーを開催するなど、ガイドラインが定まりつつあったが、女子学生用のスーツは百貨店のリクルート・スーツ売り場でもバラエティに富んでいた。ファッション誌を辿ると、80年代前半の私服風セットアップ、80年代後半のバブル風スーツなど、就職後の通勤にも使えそうな意匠であった。
明らかに装いが地味になるのは、バブル崩壊後、求人倍率の低下が始まる頃だ。2000年代前半にはリクルート・スーツにだいたい共通する形が定着し、後半になるにつれ黒が市場を席巻する。倹約志向から汎用性の高いものを求めるムードもあったかもしれない。
インターネットの普及もスタイルの同一化に一役買っている。「リクナビ」の前身がサービスを開始したのは1996年。SNSが定着した2010年代には、リアルタイムで他の就職活動生の装いの動向を知ることができるようになり、現在に至る。
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