「子ども食堂」現象が発生した2012年、法は「共助」に何を期待したか
まずは、「子ども食堂」現象の成り立ちと、同時期の政府方針との関係を振り返ってみよう。
日本初の「子ども食堂」は、2012年に活動を開始した「気まぐれ八百屋だんだん こども食堂」(東京都大田区)とされる。この年は、「税と社会保障の一体改革法」(通称)が成立した年でもあり、一連の法律群の核心となっているのは、社会保障制度改革推進法である。少し長くなるが、首相官邸Webサイトにある資料(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokuminkaigi/dai7/siryou1.pdf)から、第2条を引用する。資料の重要部分には、作成した社会保障制度改革国民会議によってアンダーラインが引かれていたが、本記事では“ここが重要”のように示す。太字は筆者による。
>引用ここから
(基本的な考え方)
第2条 社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。
一 “自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされる”よう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、“家族相互及び国民相互の助け合い”の仕組みを通じてその実現を支援していくこと。
二 “社会保障の機能の充実と給付の重点化及び制度の運営の効率化とを同時に行い”、税金や社会保険料を納付する者の立場に立って、“負担の増大を抑制しつつ、持続可能な制度を実現”すること。
三 年金、医療及び介護においては、“社会保険制度を基本”とし、“国及び地方公共団体の負担は、社会保険料に係る国民の負担の適正化に充てる”ことを基本とすること。
四 国民が広く受益する社会保障に係る費用をあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点等から、“社会保障給付に要する費用に係る国及び地方公共団体の負担の主要な財源には、消費税及び地方消費税の収入を充てる”ものとすること。
>引用ここまで
引用したのは、この「基本的な考え方」が、その後の「子ども食堂」を規定したと言っても支障なさそうな内容であるからだ。太字部分を、改めて眺めてみていただきたい。
「一」には、「自助、共助及び公助」の組み合わせと、「家族相互及び国民相互の助け合いの仕組み」の重要性が語られている。これは「子ども食堂」そのものである。「子ども食堂は家族だけで閉じているわけではない」という反論がありそうだが、「子ども食堂」には、しばしば、伝統的な家族観が反映されている。たとえば、家族が食卓を囲んで手作りの食事を食べることの重要性や、団らんの時間を持つことの必要性は、「子ども食堂」活動の契機や継続の動機として、しばしば語られている。
「二」はそのまま、「子ども食堂」が供給側・運営側の大人のニーズに傾きがちな事情の説明になっている。「子ども食堂」の運営は、「税金や社会保険料を納付する者の立場」で行われている。その人々は同時に、公共に対する「負担の増大を抑制」する役割を求められている。運営にあたっては、ボランティアや寄付を頼みにせざるを得ないけれども、同時に「持続可能」性も求められる。困難な課題が多重に課せられている以上、「子ども食堂」が文字通り、第一義的に「まずは、子どもたちのために」という存在でありつづけることは、容易ではないはずだ。
「三」では、社会保障の基本を「社会保険制度」とする考え方が述べられている。子どもの育ちや学びを保障することの保険化は、明確には述べられていない。また、公共部門の役割は、「国民の負担の適正化」にあるという。一言で言い換えれば、保険の“お世話”になる人とならない人の不公平感を減らすのが公共部門の役割、ということである。この点が「子ども食堂」の何に該当しているかは、後でもう一度振り返る。
「四」には、社会保障に関わる費用を「あらゆる世代が広く公平に分かち合う」ことの必要性と、この観点から財源は消費税とすることが述べられている。「子ども食堂」は、必ずしも子どもを無条件に歓待する場ではない。料理への参加や後片付けの手伝い、その他、運営する大人たちの何らかの期待に応えることが、子どもたちには何となく課せられる。期待を裏切る子どもは、最悪の場合、出入り禁止になることもある。「子ども食堂」で食事をする子どもたちは、参加者であり、担い手であり、負担を広く公平に分かち合う「あらゆる世代」の一員であるからだ……と理解すれば、それらの「子ども食堂」の事情は、まったく矛盾なく理解できる。
2012年~2013年の政治状況と「子ども食堂」を重ねてみると?
民主党政権下の2012年3月、自民党は生活保護基準を10%引き下げることを公約した。そして8月、前述の「税と社会保障の一体改革法」が成立。年末の衆院議員総選挙で自民党が圧勝し、第2次安倍内閣が成立した。
年が開けて間もない2013年1月、厚労省は、生活保護基準を平均6.5%引き下げる方針を示した。最も引き下げ幅が大きかったのは、子育て世帯であった。同年6月、「子どもの貧困対策法」が成立したが、8月、生活保護基準の引き下げが実施された。就学援助や児童扶養手当など、生活保護の対象ではない子育て世帯を対象とした支援制度の利用条件は、生活保護基準と連動する。当然ながら、生活保護基準の引き下げにより、就学援助の対象とならなくなる子育て世帯が発生した。神奈川新聞によれば、生活保護基準の引き下げによって、2014年度、977人の児童が就学援助の対象外となった。
そして12月、生活保護法が改正された。政府はこのとき、社会保障に関する国家責任を、目を凝らさなくては気付かないほど、少しずつ、しかし明瞭に放棄しはじめた。
同時期の「子ども食堂」は、どのような動きを見せていただろうか。
まず2012年は、「気まぐれ八百屋だんだん」が「食へのこだわりを通じて地域コミュニティを拡大する」というコンセプトで活動を開始した年である。
この年、東京都豊島区のグループが「だんだん」を見学に行った。グループの中には、後に「子ども食堂」ムーブメントの中心的人物となった栗林知絵子(現「豊島子どもwakuwakuネットワーク」理事長)もいた。そして翌年の2013年、栗林らの「要町あさやけ子ども食堂」が活動を開始した。以後、「子ども食堂」活動の拡大と発展は、とどまるところを知らない勢いだ。冒頭で述べた通り、現在、全国に2000以上の「子ども食堂」が存在する。内閣府および文科省・厚労省・農水省は、それぞれの公式Webサイトの中で、「子ども食堂」を自らの管掌する業務と関連させていることを表明している。もはや「子ども食堂」は、公的に政府方針の中に位置づけられ、立ち位置を確保している。
2013年以後、政府は、生活保護費の減額や、それに伴う就学援助の対象範囲縮小などによって、子育て中の貧困世帯・低所得世帯から費用を奪っている。そして奪われた費用を、「子ども食堂」が不完全に埋めようとしている。もっとも、政府が奪った費用の「穴埋め」は、結果として、充分には行われない可能性が高い。そして政府の方針によれば、結果がそうであったとしても、政府には何ら責任はない。なぜなら、各個人、各世帯の「自助」不足、あるいは各地域の「共助」不足ということになるからだ。
同じ図式を、もう一度、例え話で説明してみよう。
育児に当たっている専業主婦の妻に対して、稼ぎ手の夫は、月々の生活費を一方的に減額した。もともと、妻に渡されていた生活費は、夫の考える「最低限度」であった。その「最低限度」が、さらに減額されたのである。経済的DVである。
ある日、近所の善意の中年女性が、妻と子の苦境を知った。女性は、「まあ、かわいそうに。でも、夫に対するあなたの態度も、ちょっと問題があるんじゃないの?」と、好意なのか説教なのか良く分からない両論併記の介入を行い、若干の食糧を差し入れた。妻と子は、給料日前の数日、その食糧によって飢えをしのいだ。
善意の女性は、夫に対しては何もしない。ただ、気が向いた時に、妻と子の様子を気にかけ、食糧援助をするだけである。妻が子とともに夫のもとから逃げ去ろうとすると、女性は必死で、「子どものために」と翻意させようとする。結局、妻と子は苦境の中に留め置かれるままなのだ。とはいえ、女性に悪意はなく、あくまでも善意だ。だからこそ、妻にとっては度し難い。第三者から見れば、罪作りである。
2013年以後に政府が行っていることは、貧困層や低所得層に対する経済的暴力と見ることが可能だ。もちろん政府は、公式に「子どもの貧困なんか、知ったことか」という内容の発言をしたわけではない。しかし実際に起こっていることは、政府が国家責任を放棄しつつあるということであり、その責任が地域や世帯や個人に転嫁されているということだ。現在の「子ども食堂」は、結果として、その成り行きを象徴する存在となってしまっている。
後編では、「子ども食堂」ムーブメントに関わってきた人々や「子どもの貧困」に関する問題提起を行ってきた人々の発言を検証しつつ、「子ども食堂」の骨格と方向性を浮き彫りにしたい。
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