政府にとって移民は政治的な「安全弁」にすぎない 古今東西、政府主導の移民政策が生む悲劇

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政府によってズタズタにされたブラジル移民 

 『その女、ジルバ』では現代の出来事と並行し、過去のブラジル移民の物語が描かれる。ブラジルへの移民が盛んになったのは1920〜30年代。日本国内の農業不作、経済不況、関東大震災などで、人々は異国の土地に希望を託す。数年間の出稼ぎでコーヒー農園で儲け、故郷に錦を飾るつもりだった。

 しかし、現地はそれまでの過剰生産からコーヒー不況の最中。日本人移民は厳しい労働条件と偏見のなか、自給自足を余儀なくされた。ジルバの両親も相次いで早逝する。

 ブラジル移民の夢と現実の落差は、経済情勢の変化だけが原因ではなかった。遠藤十亜希『南米「棄民」政策の実像』(岩波現代全書)に詳しい。

 明治から大正にかけて、南米移民は民間の移民会社が取り仕切った。移民の募集・選考から渡航、移送といった手続きだけでなく、現地で移民と雇用主の間のいさかいを調停したり、移民との契約義務を履行するよう雇用主に要請したり、政府の役割を演じて移民の定着に貢献した。ところが1924年(大正13)にこれが国営化され、関係省庁や政府系団体の直轄になると、様子が一変する。

 日本政府は現地で反日感情が高まっているにもかかわらず、ブラジル移民を飛躍的に増加させた。ブラジル人との利害衝突を避けるため、新規の移民をジャングルや辺境地に送り込む。これらの土地には外国人労働者が一攫千金を狙えるような商業や産業の拠点はなく、最低限の生活に必要な社会インフラさえ存在しなかった。

 政府がそこまで南米移民に固執した理由について、日本国内の人口急増に伴う失業・貧困を解決するためだったという説明がよくなされる。けれども遠藤氏は、実際には別の理由があったとして、これまで注目されなかった事実を明らかにする。

移民政策が進められたもうひとつの理由

 もし、人口問題が理由であれば、失業・貧困が深刻だった東北地方からの移民が多いはずだ。ジルバは福島出身だが、実際に多数を占めたのは岡山、広島、山口の山陽地方と、福岡、佐賀、長崎、熊本の北部九州地方である。それはなぜか。

 山陽・北部九州には、明治政府の富国強兵・殖産興業政策における基幹産業である石炭、鉄鋼、造船業が集積し、全国の労働者が職を求めて殺到した。

 特に石炭は主要エネルギー源としてもてはやされる一方、労働環境は劣悪だった。1918年(大正7)に富山から波及した米騒動をきっかけに炭鉱労働者の不満が爆発し、暴動が発生。福岡では鎮圧のため出動した軍隊に武装した労働者がダイナマイトを投げつけて、兵士3名が死亡する事態となり、軍部にショックを与えた。

 山陽・北部九州の炭鉱はもうひとつの社会運動とも密接な関係があった。部落解放運動である。

 戦前の被差別部落は西日本に多く分布し、なかでも山陽・北部九州の部落民人口は全国の28%を占めた。彼らの多くは炭坑や軍需工場に就職する。米騒動では、多数の被差別部落民が炭坑の暴動に加わった。1922年(大正11)、部落解放をめざす全国水平社が発足。支配層との全面対決を打ち出す。

 労働者や被差別部落民の反体制運動に政府は警戒を強めた。1924年(大正13)、移住希望者への渡航補助金が制度化され、以後、移民は国営事業として推進される。遠藤氏は移民政策について「人口緩和という本来の目的とは別の目的、すなわち、政治不安を緩和させるという第二の使命を帯びていった」と指摘する。

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