その露出には意味がある~『シャーロック』と『アメリカン・ハッスル』に見る女性の体の表現

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人体が見える場面の意味をちゃんと考えよう

 映画やテレビドラマについて、よく俳優が「必然性がなければヌードにはならない」と発言することがあります。最近では、スコットランドの歴史を扱った映画『アウトロー・キング~スコットランドの英雄~』に出演したクリス・パインが、全裸シーンについて「もちろん、大事だと思わきゃやりませんよ」とコメントしています。パインはこの映画について、裸体なんていうのはありふれた人間の生活の一部なのに、非日常的な残虐描写よりもそちらのほうが話題になることについて批判的なコメントもしています。

 ここで問題になるのが「必然性」とか「重要性」という考えです。世の中には、とくにプロット上、何の機能も果たしていないにもかかわらず、人体が露出するコンテンツはたくさんあります。女性が無駄に体を見せる映画とかテレビ番組は大変多いし、アニメや漫画で起こるチラ見せなどを指す単語「ファンサービス」(Fan service) は日本起源ですが、今では英語圏でも使用されています。最近では、BBCが2015年から放送している18世紀のコーンウォールを舞台にしたテレビドラマ『風の勇士ポルダーク』が主演男優のエイダン・ターナーをやたらと上半身裸で登場させることで有名になり、エイダンの体を売り物にしているとして批判も受けました(ちなみに、私もこのドラマでやたら主人公が脱ぐのはもうネタみたいでバカらしいと思っていたのですが、夏にコーンウォールの海辺の町に行ったところ、暑い日には男性がけっこう上半身裸でうろついていて「あれは本当だったのか……」とちょっとビックリしました)。

 クリス・パインが問題にしている重要性とか必然性というのは、ヌードが物語の内容に有機的に組み込まれているかどうかということです。役者にとっては、人の体が露出されることでプロット上意味がある展開が起こるとか、美的な観点から何かを象徴しているとか、そうしたポイントがなければ単なる無駄脱ぎになってしまうからです。クリスは『アウトロー・キング』のヌードについて、「究極的に言って僕たちは動物」だと示すためだ、と述べています。映像芸術で人体の露出がある時に、「やったー裸だ!」で終わるのではなく、それが全体の中でどんな意味を持つのか考えることが批評では重要なのですが、美男美女がチラ見せするとそれだけで頭に血が上ってゲスな興味だけで終わってしまうこともよくあります。この記事では『シャーロック』と『アメリカン・ハッスル』を題材に、一見、ファンサービスと混同しやすい女性の体の露出にどういう展開上の意味があるのか考えたいと思います。

戦闘服は全裸~『シャーロック』

 2010年からBBCで放送された現代版シャーロック・ホームズ、『シャーロック』は世界中で人気を博しました。この第2シリーズ第1話「ベルグレービアの醜聞」には、とても印象的なヌードがあります。

 探偵のシャーロック(ベネディクト・カンバーバッチ)と親友で医者のジョン(マーティン・フリーマン)が英国王室から依頼を受け、プロのSMの女王様であるアイリーン(ララ・パルヴァー)から、さる高貴な女性のスキャンダラスな写真を取り戻すべく工作します。シャーロックとジョンは道で強盗にあったフリをしてアイリーンの家に忍び込もうとしますが、2人がやってくることを予期していたアイリーンはお化粧だけして、あとは全裸にルブタンのハイヒール姿で迎えます。

 このヌードには、展開上大きな意味があります。推理の達人であるシャーロックは、相手の衣服から、その人がどこにでかけたとか、どういう習慣を持っているかとか、相当な情報を引き出すことができます。これを警戒したアイリーンは、情報を抜かれないために全裸で出てくるのです。シャーロック視点では引き出した情報が全て文字で表示されるのですが、このときは「?」という文字が表示されており、ろくに情報を読み取れずに困惑するシャーロックの心境がわかるようになっています。

 アイリーンが2人を待つ間に何を着るか悩み、結局「戦闘服」にするという場面がありますが、スタイル抜群で美しさに自信のあるアイリーンにとっては、裸が一番、相手を混乱させられる攻撃力が高い姿なのです。アイリーンは美しい体を堂々とさらすことで相手を狼狽させ、相手の視線をコントロールしています。見られる対象になるということは、通常は他人から評価される弱い立場に追い込まれることにつながりやすいのですが、アイリーンはわざと自分を見せることでこの視線の権力関係を上手にひっくり返します。

 一方でアイリーンはシャーロックが自分の体から読み取れそうな情報についても事前に十分予測しています。シャーロックと会った直後にアイリーンの家は襲撃を受け、シャーロックは襲撃者たちからアイリーンの金庫を開けるように要求されます。この時アイリーンはシャーロックに対して、数字については何も口にしていないにもかかわらず、既に金庫の暗証番号は教えたと言います。シャーロックはアイリーンの体型から推測したスリーサイズを金庫の暗証番号として入力し、開錠します。

 このアイリーンが全裸で出てくる場面は、ヒロインが非常に頭の切れる自信に満ちた女性であることを示す一方、序盤の盛り上がりを作る重要な機能を果たしており、ファンサービスのために女性が脱ぐわけではありません。しかも、実はよく見るとアイリーンのおっぱいとかお尻とかはあまり映らないように工夫されていて、テレビドラマだということもあってそんなに堂々と全裸を撮っているわけではないのですが、とんでもなくセクシーな緊張感のある場面に見えます。

 「ベルグレービアの醜聞」では終盤にかけてヒロインのアイリーンの描き方がちょっと尻すぼみになるので、アーサー・コナン・ドイルの原作「ボヘミアの醜聞」に出てくる、ヴィクトリア朝をひとりで生き抜くヤバい女であるアイリーン・アドラーに比べるとキレが劣る、という意見もあります。しかしながら、この序盤に全裸で出てくるアイリーンの描写は、女性の体を撮るにあたって大変よく考えられていると思います。

 ただし、『シャーロック』では常にこういう考え抜かれた裸体描写がされているわけではありません。同じエピソードの前の部分では、シャーロックがシーツをかぶっただけの姿でバッキンガム宮殿に現れ、兄のマイクロフトにシーツを踏まれて上半身が露出するという場面があります。ここは大人同士なのに子供っぽい意地の張り合いをするホームズ兄弟を茶化して描く一種の下ネタギャグなのですが、女性の体は考え抜かれた方法で撮る一方、男性のチラ見せは面白おかしくて妙に緩い、というのは『シャーロック』シリーズの特徴のひとつです。

シドニーの脇乳~『アメリカン・ハッスル』

 2013年の映画『アメリカン・ハッスル』では、女優陣のドレスが話題になりました。この映画ではシドニー(エイミー・アダムズ)とロザリン(ジェニファー・ローレンス)という2人の女性がメインキャストとして登場します。デザイナーのマイケル・ウィルキンソンは、舞台である70年代の流行にあわせて、非常に露出度が高くてきらびやかなドレスをデザインしています。

 ロザリンのドレスも美しいのですが、演技派で比較的地味な役も多かったエイミー・アダムズが、いつもとはひと味違うセクシーな凄腕詐欺師を演じるということもあり、公開時の報道では、シドニーが着るドレスの露出度が注目されました

やはりここで見過ごしてしまいがちなのは、シドニーはなんでこんなにセクシーなドレスを着ているのか、ということです。映画の衣装はキャラクターを表現するものです。着ているものがどう登場人物の性格や行動と結びつくのかを考えることで、より楽しく映画を見ることができます。

この映画は1970年代末に起こった政治スキャンダルであるアブスキャム事件に基づいており、FBIが詐欺師たちを動員して政治家に対するおとり捜査を行うという内容です。70年代の女性ファッションはディスコ文化の影響もあり、グラマラスで露出度も高いゴージャスな服装が流行していました。とくに首の周りに布をまわすホルターネックは人気がありましたが、これは袖ぐり部分も襟ぐり部分もかなり露出度を高くできる衣装です。シドニーの衣装はホルストンやサン=ローランなどの70年代に流行ったドレスを参考にしており、その点の時代考証はしっかりしています。

 デザイナーのウィルキンソンは、シドニーの衣装について「最高の自信と儚い傷つきやすさ」の間を揺れ動きながら危険な行為に手を染めるキャラクターを表現するため、わざと体にへばりつくようなスタイルにしたと述べています。シドニーは貧しく、頭のキレを使って生き延びてきた女性で、とても野心的で別の自分になりたいと願っています。詐欺を行う際、シドニーは英国貴族のレディ・イーディスという偽名を使っています。このリッチでゴージャスな特権階級のお姫様は、おそらくシドニーの憧れの実現のような自信と美に満ちた女性です。大役を演じるためにはそれにふさわしい衣装が必要なのです。

シドニーは中盤、仕事上重要なヤマとなるイベントに出席する際、脇乳と谷間が見えるシークィンのホルタードレスを着ています。この脇乳ドレスは映画のスチールにも使われました。ここでシドニーは恋人で詐欺のパートナーであるアーヴィン(クリスチャン・ベール)の妻ロザリンとも対決するハメになります。詐欺稼業は頭を使って切り抜ける自信があるシドニーも、恋愛についてはトラブルまみれです。キラキラしているのに布が少ないこのドレスは、そうしたシドニーの力と悩みの両方を象徴します。

 そしてシドニーがやたら露出度の高いドレスを着ているのは、そのほうが詐欺師として男性を騙しやすいから、という単純な理由もあります。この映画を見ていると、たぶん性別や性的指向にかかわらず、観客はついついシドニーの胸元に目が行って、あまり話の内容が頭に入らないというようなことになりがちです(YouTubeにあるウィルキンソンの衣装解説ビデオにも、シドニーの服しか覚えていないというようなコメントがついています)。シドニーはまさにそういう効果を狙って谷間や脇乳を出しているのです。『シャーロック』のアイリーンもそうでしたが、ヘテロセクシュアルの男性はオッパイに気をとられやすいものです。シドニーのドレスは、詐欺師として男社会に食い込み、人々を幻惑するための戦闘服なのです。

 こういうふうに、よくできた映画やテレビにおいては、ヌードや露出は単なるファンサービスではなく、展開やキャラクター造形に貢献する大事な要素になることがあります。オッパイや筋肉に幻惑されていては、作品に深く切り込んでいくのが難しくなります。その露出にはどういうプロット上の機能や象徴的な意味合いがあるのか、ということを常に念頭に置いて作品を見たほうが、ずっと楽しくなります。

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