2019年8月1日から10月14日まで愛知県で開かれる国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」。その芸術監督をジャーナリストの津田大介さんが務め、“ジェンダー平等”を大々的に打ち出し「参加アーティストの男女比を半々にする」という画期的な試みが話題となっている。トリエンナーレに参加する74組のアーティストのうち32組が女性。男女混在のグループやカンパニーを除くと63組なので、女性が過半数を超えた。
これが“画期的な試み”で、“話題になる”ということは、美術界では現状、“ジェンダー不平等”がまかり通っているということだ。アートの世界は創意工夫にあふれた自由で奔放な舞台だとの誤解を抱く人もいるかもしれないが、圧倒的な男性優位の世界だ。
芸術・美術を学ぶ大学の新入生の男女比は圧倒的に女性が多いが、教員は8割以上が男性。美術業界で“評価”されている作家も、ほぼ男性。美術館の学芸員は女性が6 割を超える一方で、館長の8割以上が男性。なんなら、あいちトリエンナーレの実行委員会も男性に占められている。
美術の道を志した女性たちは、どこへ消えるのか? そして何をもって「美術界のジェンダー平等」と言えるのか。津田大介芸術監督に、話を聞いた。
津田大介(つだだいすけ)
ジャーナリスト、メディア・アクティビスト、ポリタス編集長、有限会社ネオローグ代表取締役、一般社団法人インターネットユーザー協会代表理事。https://twitter.com/tsuda
アートが本当にアート“だけ”を突き詰めていていいのか
――そもそも、なぜ津田さんが「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督を務めることになったのですか。意外性は大きかったと思います。
津田「正直、僕が一番びっくりしました(笑)。ただ、客観的に事実だけを述べると、『あいちトリエンナーレ』はアートの祭典ですが、ジャーナリズムとの共通点もある。2010年に開催した第一回の芸術監督は、多摩美術大学の学長である建畠晢でしたが、建畠さんはもともと新潮社の「芸術新潮」編集部にいて、そこからアート業界に行った人。そういう意味では、建畠さんも僕も、ジャーナリズムとアートを横断するという点においては共通点がある。2回目の五十嵐太郎さんも建築評論家で、ジャーナリスティックな観点から建築を中心としたテーマ性の強いトリエンナーレをつくりあげた。あいちトリエンナーレは明確にアート業界の外からディレクターを呼んでくるという方針があるので、その流れで僕が選ばれたということなんでしょう」
――打診を受け、応じた経緯は。
津田「芸術監督は毎回、歴代の芸術監督とアカデミシャンなどを呼んだ有識者会議で選出されるのですが、2017年6月に僕のところに突然、あいちトリエンナーレ推進室の室長から『あなたはあいちトリエンナーレ2019の芸術監督に選ばれました!』という、決定事項を伝えるメールが来ました。振り込め詐欺のメールかよって思いましたね(笑)。
選出会議のあった2016年には、イギリスのEU離脱(ブレグジット)とアメリカのトランプ大統領誕生という、ふたつの大きな出来事があった。世界が大きく変わっていることを予感させるような年でしたよね。激動の空気の中で僕が選ばれているので、おそらくですが、アートが本当にアート“だけ”を突き詰めていていいのか、もっとアートと社会を接続する必要があるといった問題意識が選考委員たちの中にあったのかな、と思います」
――津田さんの側に戸惑いはなかったのですか。
津田「もちろんびっくりでしたし、当初は断ろうと思いましたよ。でも僕、2013年のあいちトリエンナーレでトークプログラムのゲストで呼ばれたことがあるんです。80年代の原発をテーマにしたドキュメンタリー映画『原発切抜帖』のアフタートークに呼ばれたのですが、トークが終わったあと、せっかくだからと様々な展示を回ってみたら、それがすごく楽しかったんですね。
あいちトリエンナーレ2013のテーマは「揺れる大地」――つまり、震災でした。僕自身、東北をよく取材していたこともあり、作品群がどのようなことを伝えようとしているのかすぐに理解できた。アートだと問題意識を圧縮してすぐに伝えることができるんだなと思って、現代アートの面白さやジャーナリズムと近い部分に気づきました。それで現代美術そのものに興味を持って、そこから芸術祭や美術館に足が向くようになったんですね。
ただその時はまだ、40歳近くになっていきなり新しい趣味ができるって素敵なことだなっていう程度でしたが……。そしたら突然、自分とアートを結び付けてくれたトリエンナーレの芸術監督のオファーが来たわけです。予算規模も国内最大級です。最初にメールを受け取った時は無理無理無理無理って(笑)。まったく素人ですよって」
――でも最終的には引き受けた。なぜですか?
津田「ひとつは、2011年の6月に、津波の被害が非常に大きかった福島県いわき市豊間の海岸で、音楽家の渋谷慶一郎と七尾旅人、いわき市出身の美術家YDM(緑川雄太郎)と「SHARE FUKUSHIMA」というイベントをした経験があったことが下敷きになっています。
豊間地区は、津波で多くの家が全壊した地域なのですが、そこで営業している骨組みだけ残ったセブンイレブンの店長さんと取材で知り合って、彼に「ここを人が集まる場所にするために、色んな面白いイベントとかしたいんだ」と言われてこの企画を考えました。
自分の人生初のイベントプロデュースの体験でもあったわけですけど、自己満足ではなくてきちんと現地に支援金というかたちで貢献し、来た人にも満足してもらってその後も現地を訪れるきっかけ作りになったんじゃないかと。その成功体験が自分の中で印象深いものとしてあったんです。あの経験が自分なりのトリエンナーレをプロデュースができるんじゃないかと思ったひとつのきっかけですね。
もうひとつは、まあ受けても後悔するだろうし、受けなくても後悔するだろうなと思ったんですね。これだけ大きな規模のイベントのトップに立って色んなことをやる機会って、一生に一度あるかどうかですし、「受ける後悔」と「受けない後悔」だったら受ける後悔かなと思って、受けました。そして今、後悔しています(笑)。大変過ぎました」