「ジェンダー平等」を掲げ、会議は紛糾した
――津田さんが「ジェンダーの平等」にこだわったことで、トリエンナーレの運営委員会内でも会議は紛糾しましたか。
津田「しましたねえ……いまもジェンダーがらみの問題では参加作家の平等だけでなく、さまざまな論点が出てきて、日々内部で議論しています」
――記者発表会の資料に、メキシコ人アーティストのモニカ・メイヤー氏の直球フェミニズムな作品に対して、内部で慎重な声が上がったとありました。「フェミニズムのメッセージが勝ち過ぎる」とはどういうことか、詳しくお聞かせ願えますか。
津田「アートに詳しいキュレーターさんたちから見ると、『ああモニカ・メイヤーね、メキシコでフェミニズム・アートやってた人だよね。わかるわかる』みたいな。同時に『でも今さらモニカは古いよね』みたいな感覚もあるようで。モニカ・メイヤーの作品は、日常で起きているハラスメントを無数の付箋に書ける安全な環境を提供するという作品で、70年代からずっと続けてるアートなんですよね。そういう意味での既視感も敬遠されたのかもしれません。
じつは、『モニカ・メイヤーを入れたい』というアイデアを出してくれたのは、メキシコ人男性キュレーターのペドロ・レイエスです。彼は『情の時代』というあいちトリエンナーレ2019のコンセプトを決めて、誰を呼ぶのか話し合うミーティングをする当初から女性作家がとても多かったし、かつ、フェミニズムをストレートに表現している作家を選んでいましたね」
――ペドロさんはすぐ、津田さんの意図を理解してくださったんですね。
津田「そうです。僕もコンセプトをつくった時には、いいテーマができたのでとにかくテーマ性にこだわったトリエンナーレにしようとしか思ってなくて、ジェンダー平等についてはまったく意識していませんでした。だから今回のジェンダー平等の流れをつくってくれたのは、僕じゃなくてキュレーターのペドロなんです。
ペドロがモニカ・メイヤーを推してきたんですが、ペドロ以外のキュレーターは慎重な人が多かった。『典型的なフェミニズムアートなので、フェミニズムというタグが付くとそれだけで、“フェミニズムはいいや”って敬遠しちゃう人が普通に見てもらえなくなりますよ』みたいな意見が出てきて、僕もいったんはメイヤーを入れるかどうかは保留にしていたんです。それが昨年6~7月くらいの議論ですね」
――けれど、モニカ・メイヤーを招聘することにした。そしてジェンダー平等を掲げることに。
津田「昨年の8月、東京医科大での不正入試問題が発覚しましたね。ニュースを見て僕は本当にあれがショックだったんです。日本は先進国じゃなかったのかと本気で思いました。この状況を変えるにはどうすればいいかと思って、自分が関わってるトリエンナーレでまさしく議論になっていたモニカ・メイヤーを入れるべきだと思い、次のミーティングでキュレーターたちに『モニカ・メイヤーを入れます』と告げました。
ペドロには『情の時代』というテーマの延長でジェンダーの問題も取り上げたいからそういう作家を挙げてくれと頼みました。それに応答したペドロが良い女性作家をたくさん提案してくれて、それで女性作家の数が自然と増えていった。実はその段階になっても、作家の男女同数については頭になかったんです。で、10月ごろに気が付いたら、作家の男女比が6:4くらいになってたんですよ。男性6女性4。
『あれ、もしかしてこれって、女性作家の割合が通常の国際芸術祭より多くないですか?』と聞いたら、キュレーターも『いやとても多いですよ』と言うわけです。そこで初めてジェンダー平等にするプランが僕の中で浮かんできたんです。それを実現するには説得力のあるデータがいると思ってリサーチを始めました。
過去3回のあいちトリエンナーレの作家の男女比率を調べてみたら、女性1に対して男性3とか。もしかして他の芸術祭も? って日本で行われている主要な国際芸術祭を全部調べたら、女性が2、3割で男性が圧倒的に7、8割みたいな状況でした。美大って女性が多いよなと思って調べてみたらやっぱり今は圧倒的に女性のほうが入学者数が多い。そして、学芸員も女性のほうが多い。しかし、じゃあ美術館長もって思って調べてみたら館長は84%が男性だと。公立美術館になると男性館長が90%を超えるわけです。知っている女性作家や美術業界の関係者に美術業界のジェンダー問題について取材してみると酷い話がたくさん出てくる。ヤベえこの国、と痛感しました」
――女性たちは出世できない、という構造がここにも。
津田「わかりやすくガラスの天井がある業界だった。僕の本業はジャーナリストなので、調べたデータから見えてくる事実をわかりやすく問題提起するのが仕事とも言える。そして、テーマに合うかどうか、男女比関係なく選んでいたら自然と6:4まで来ていたわけですから、最後の調整で5:5を目指せると思ったわけです」
――どうせやるなら「6:4」ではなく、「5:5」を。
津田「キュレーターとの会議では『6:4でも女性十分多いです。これでも話題になると思いますよ』とも言われましたけど、メディア業界で仕事をしてきた感覚からすると『6:4』では話題にならない。『5:5』、つまり日本の主要な国際芸術祭で初めて――『日本初』という触れ込みがあれば、愛知県のメディア以外にも訴求できる。メディア的なインパクトとしては絶対に『5:5』のほうが強いし、それをメッセージとして打ち出せば、美術業界、そして日本社会に一石を投じることになると思いました」
――国際的にも、「あの日本が」「あのジェンダーギャップ指数110位の日本が」と、なりますよね。
津田「そうそう。ただ、このジェンダー平等を方針として決めたあとも、それを記者会見などで強く打ち出すかどうかは最後まで悩みました。当初は打ち出さないほうがいいかなとも思ってました。なぜかといえば、トリエンナーレの主役は作家たちだからです。ジェンダー平等ばかり前面に出てくるのは肝心の作品に光が当たらなくなってしまうし、選ばれた女性作家が色眼鏡で見られてしまうという問題もありました。
半年前はそう思ってたんですけど、日本で暮らしていると日々ジェンダー的にびっくりするようなことが続くわけじゃないですか。性犯罪と司法を巡る問題もそうだし、セクハラ事件もいつまでもなくならない。どんなに政治家がジェンダー的に不適切発言してもクビが飛ぶようなこともない。やはりこの状況に一石を投じるには、さまざまなハレーションを起こすことを想定したうえで、記者発表会でジェンダー平等を打ち出すしかないか、と3日前くらいに覚悟を決めました。
あともうひとつ、メディア業界の人間ならではの観点でいうと、会期が始まる8月まではまだ4カ月くらいありますよね。まだ作家たちも作品をつくっている段階だから、こんな作品ができました! って告知できるわけでもないし、いまのタイミングはジェンダー平等というインパクトでたくさん報じてもらって、トリエンナーレ自体に興味を持ってもらうことに専念できる期間でもあるんですよ。会期が近づくにつれ、各作家や作品に光が当たるように広報戦略考えたほうがいいなと。
今回のことが大きく報道されることで、社会問題に興味があるけどアートに興味がないという人も、興味をもって足を運んでくれる可能性が出てきましたよね。アートは一部のアートマニアや美術業界関係者のためだけにあるわけではない。今回の取り組みで僕が前面に立ってジェンダー平等の話をしているのは、アートを一般の人にひらいていくための取り組みでもある、と自分では位置づけています」
――アート業界内のハレーション、というのは、現状の男女比でジェンダー不平等のまま、閉鎖的な業界としてやっていきたい人たちの反発があるということですか?
津田「反発はありますよね。『ジェンダー平等(で日本が変わる)なんて浅いよね』、みたいなことも言われる。もちろんそのとおりです。こんなのは小さな第一歩でしかないことは自分が一番よくわかっています。しかし、浅いかもしれないけど、今まで日本では1回も達成したことないわけですから。それって単に恥ずかしいんじゃないかなって。
だって不自然じゃないですか、アート業界には女性がいっぱいいるわけですよ。そもそもプレイヤーが9:1とかだったら仕方ない部分もあるけど、プレイヤーがこんなに均等あるいは女性のほうが多い状況があるのに、上層部は男性に占有されている。不自然にも日本の国際芸術祭で、ただの一度として、男女平等あるいは女性が多いという自然な状態を達成していない、それはやっぱり構造に歪みがあるのではないか。
今回やってみてわかったのが、女性のプレイヤーが非常に多いこの業界においては、女性作家の比率を増やしても芸術祭の質は全く落ちないということですね。もともとの女性プレイヤー数が極端に少ない業界で強引にアファーマティブ・アクションを進めると、より格差や偏見が助長されてしまう側面もあるので、慎重に進めないと行けない部分があるんですが、アートの世界ではプレイヤーの男女比は全然偏っていない。海外を含め、女性のいい作家は大勢いるので、テーマ性に合う選び方でまったく質に影響与えずに、展覧会を構成することができます。
質って、基本的にやっぱり量から生まれるものなんですよね。その量的な条件は美術界は兼ね備えている。だから質を落とさずジェンダー平等が容易に達成できる。このことに気づけたのは自分にとっても大きな収穫でした」