会見をそのまま見られるのは画期的なこと
イチローは極めて知性の高い選手なので、記者への対応は絶妙である。一般メディアからの曖昧な質問でも、必要性が高いと思えば、不機嫌そうにしながらも懇切丁寧に解説する。一方、あらかじめストーリーが出来上がっているような、一方的な質問には素っ気ない回答しかしないなどメリハリを効かせている。
記者会見というのは、冒頭にも説明したように、さまざまな価値観や考え方を持ったメディア関係者が同じ場所に集まり、1人の対象者にバラバラに質問する場である。各メディアでは、それぞれの読者に向けた記事や番組が作成されるので、同じ会見場に集まっている意味は、取材対象者の時間節約以外にあまり意味はない。
だが、多数の人間が同じ場所に集まると、その会場には独特の空気というものが出来上がる。先ほどのテレビ局の質問のように、一種くだらない質問によって、雰囲気が一変することもあるのだ。そうなってくると、次の記者が行う質問の内容もそれに影響を受けることになる。
雑誌や新聞の紙面には物理的な制約があり、テレビの場合には放映時間という制限があるので、ネットが普及する以前の時代においては記者会見をそのまま報じることは難しかった。だが今はネットが主流なので、会見のすべてを動画サイトでチェックしたり、会見内容のテキスト全文を入手することもできる。
直接質問できないことを除けば、ネットを見ている人と、会見場にいる記者はほぼ同じ情報を得ることが可能だ。これは考えようによっては非常に画期的なことであり、リテラシーの高い人であれば、かなり深い情報まで入手できることを意味している。だが逆に言えば、見ている人にも会見に参加する記者同様、高いリテラシーが求められるという意味でもある。
取材を受ける側の能力を理解できると、いろいろなことが見えてくる
こうした時代においては、編集された報道やネットの声を鵜呑みにしてしまう人は、なかなか真実に向き合うことができない。記者の質問に対して怒っているだけでは、いつまで経っても全体像が見えてこないだろう。
記者会見が持つ、こうした独特の魔力をよく理解した上で会見を見返すと、いろいろなことがわかってくるはずだ。
イチローは先ほども説明したように、時として記者に冷たい態度を取ることで知られているが、イチロー自身は、記者(というよりもメディアとその先にいる視聴者や読者)が何を求めているのかについて熟知しており、意に沿わない質問であっても(そして多少、自分の気分が悪くなっても)必要な情報は提供している。つまりイチローは、メディア嫌いに見えて実はメディア対応の達人といってよい。
一方、記者会見でスポットライトを浴びたいという欲求は人一倍強いものの、メディア側の意図を理解できないため上手な対応ができず、結果としてなかなか話題にならない芸能人やスポーツ選手も多い。
取材対象者がどのような人物で、記者とはどのようなやり取りがあったのかについて、ある程度想像できるようになれば、受け手としてのリテラシーはさらに高まるはずだ。