変えるべきは「表現」ではなく「実態」。これからの社会に必要な組織の多様性

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伝えたい相手は「おまえではない」

 あらゆる表現は、それを誰に伝えたいかを意図して作られている。万人に向けた表現はえてして誰の心にも響かないからだ。万人に向けた表現の代表格である政府広報の多くがこのカテゴリーに入ることは誰しも思い当たるところがあるだろう。だから人の心をとらえ、揺り動かすために、表現者はしばしばターゲットを絞り、その人たちに深く刺さるよう刺激的な表現をすることがある。かつてはそれが、ターゲット外の人々に知られることは今ほど多くなかった。昔の狂歌の下の句に「とはいうもののおまえではなし」というのがあったが、そういわれるまでもなくターゲット外の人々の目に触れる機会は比較的限られており、仮に触れたとしても「自分向けではない」とスルーされてきた。しかし今や、状況は大きく変わりつつある。

 冒頭に挙げたような炎上が近年増えている一因は、特にソーシャルメディアなどを通じて、それが想定した受け手でない人たちにまで伝わることにある。特に画像や動画をそのまま手軽にシェアできるソーシャルメディアの機能は、表現に対する怒りや嫌悪を減衰することなく、そのまま拡散することを可能にする。

 発信者の側が不用意に想定外の人たちの目に触れるよう発信した場合もあるが、そうともいえない場合もある。特定のターゲットにだけ届くように作られた表現をターゲット外の人がわざわざ見に行って問題視するのはやりすぎではないかと思うが、そうしたケースもこの界隈ではよくみられる。

 となれば当然、逆のパターンも出てくる。現在、女性からの批判による炎上が多くを占めるのは、むろん女性に対する差別的表現が実際に多いということもあろうが、男性側から声が上がることが比較的少ないという事情も否定できない。実際、世の中には以前から、男性、特に中高年男性を貶めるような表現が数多くある。多くが女性をターゲットとしたものだから、今後はこうした表現への風当たりも強くなっていくだろう。

 ほかのさまざまな表現にも同じ圧力が働く。こうして状況がエスカレートし、結果として、言論空間はどんどん窮屈なものとなっていく。社会のなかでの情報流通が活発になった結果起きたことであるが、私たちはまだ、こうした新しい状況に十分には対応しきれていないように思う。

変えるべきは表現ではなく実態

 差別を含む表現は人の意識に影響し差別を助長するから見過ごしてはならないとする考え方もある。しかしこの考え方は、実際にはあまり根拠がない。むしろ逆なのではないか。すなわち、社会のなかに女性を一段下にみる風潮が未だに残っているがゆえに、それを反映した表現が生まれやすく、またそうした表現に対する反発が起きるのではないか。

 だとすれば、注目すべきは表現ではなく実態だ。世界経済フォーラムが毎年出しているジェンダーギャップ指数の2018年版で日本は対象149カ国中110位となっている。G7中最下位、全体平均よりも下という惨憺たる状況だが、経済・教育・保健・政治の4分野14項目のうち、教育(65位)と保健(41位)の2分野では日本のスコアは比較的高い。足を引っ張っているのは経済(117位)と政治(125位)の2分野だ。

 表現を規制すればこうした格差は縮小されるのか? ジェンダーギャップ指数上位の国々でも表現をめぐる同種の批判が少なからず起きている現状を見る限り、そうは考えにくい。表現が縛られても、組織の多様性が向上するとは限らない。表に出なくなっても地下に潜るだけだし、意思決定権限者が「多様性に考慮する」といえば弾む話でもあるからだ。むしろ表現規制にこだわるあまり、逆に実態の改善が遅れてしまう事態すら考えられる。

 むしろ、政治やビジネスの場における意思決定権限者層の多様性を向上させることのほうがよほど重要だろう。同性に対して厳しい表現をする人は男女ともに少なくない。だから、組織の多様性が女性を低く見るかのような表現の減少につながるかどうかは定かではない。しかし、少なくとも表現を規制することで組織の多様性を高めようという本末転倒なアプローチよりは、はるかに筋が通っている。

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