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「共助」の期待が生み出すジレンマ 「市民の助け合い」というストーリーが、「公助」の減衰を導く

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「Getty Images」より

 本記事は、前編に続く後編である。前編では、「ファミマこども食堂」をめぐる議論から、「子ども食堂」という用語が良くも悪くも曖昧であることが何をもたらしているかを検証した。そして、「子ども食堂」の姿の大枠を決定しているものは、2012年以後の社会保障制度改革である可能性を提示した。

 後編の本記事では、「子ども食堂」ムーブメントに関わってきた人々や、「子どもの貧困」に関する問題提起を行ってきた人々の発言を検証し、「子ども食堂」の骨格と方向性とその問題点、問題を解決する可能性について検証したい。

そして2015年-いつから「子ども食堂」は公的保険になったのか?

 2015年末、『AERA』第55号(2015年12月14日発行)で、「子どもが社会を変える」と題した特集が組まれた。この特集の目玉は、子どもの貧困をめぐる「過剰な平等が格差を放置する 『子どもの6人に1人が貧困』の問題を考える」というタイトルの座談会で、発言者は「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」理事長・栗林知絵子、貧困をテーマとした作品を発表してきた漫画家・さいきまこ、子どもの貧困問題についての研究を行ったばかりの日本財団研究員・青柳光昌、教育経済学者・中室牧子の4名だった。

 青柳は就学前教育の重要性を経済的損失の観点から語り、中室は格差縮小に対して消極的な意見を述べた。それは、2人の積み上げてきたキャリアやポジションから見て、不自然なことではない。栗林はそれらを否定せず、市民活動としての「子ども食堂」の価値を述べた。「子ども食堂」ムーブメントのスターである栗林としては、当然の発言である。さいきは3名を相手に、「市民活動が活発だから国の施策や制度は必要ない、となり公助が後退してしまっては本末転倒」「貧困を放置することは国家的な損失だとドライに伝えるのと同時に、人権侵害なのだと強調すべき」という指摘を、悲鳴のように繰り返した。さいきには、困窮の中での子育てを経験したシングルマザーとしての経験がある。あくまでも公助や人権にこだわるのは、極めて自然なことであろう。しかし、さいきの孤軍奮闘感は、悲しいほどに否めない。

 2019年の現在、この座談会を改めて読み返してみると、2012年から2015年にかけて静かに埋め込まれていた数多くの火種に気づく。とりわけ、栗林の「私は、貧困にあえぐ子どもをほうっておくと、将来その子を支えるのは私達の子ですよ、という論法を使っています」という発言と、中室の「問題を抱える子どもにすみやかに充分なケアをすることは、自分の子どものためでもあるのです」という発言は、問わず語りに、さまざまな背景を示しているように感じられる。

 栗林と中室の発言には、明らかに、「保険」としての子どもの貧困対策という含みが感じられる。保険の目的は、自分自身の子ども、あるいは自分自身に似た人々の子どもたちの生涯にわたる幸福だ。成人した我が子が幸福に生涯を全うするためには、貧困解決のために過大な税や社会保険料を課せられてはならない。だから「保険」なのだ。

 日本には、「情けは人のためならず」という古来の言い回しがある。誰かにかける情けは、回り回って自分に返ってくる。だから、誰かに情けを掛けることは、その誰かのためではなく、自分のためなのだ。栗林と中室の発言は、現代版「情けは人のためならず」と言えなくはない。

 しかし、「情けは人のためならず」の含意は、困っている人に自分が情けをかけることで、公共圏が豊かになり、豊かになった公共圏の恩恵を自分が受けるということだったはずだ。「我が子のための保険としての、子どもの貧困対策」とは、似て非なるものである。そして、栗林と中室からは、自分自身や自分と似た人々の子世代や孫世代が貧困に陥る可能性は、まったく語られていない。

「子ども食堂」の保険化は、2012年に準備されていたのかもしれない

 「子ども食堂」の枠組みは、前編で見てきたとおり、2012年に成立した「税と社会保障の一体改革法」の一つである社会保障改革推進法第2条で規定されているのだが、前編では、「子ども食堂」の保険化については言及しなかった。

「子ども食堂」の保険化と通じる内容となっているのは、同法第2条の三である(政府サイトでは、重要なポイントにアンダーラインが引かれている。本記事では“ここが重要”のように示す)。

(引用ここから)
年金、医療及び介護においては、“社会保険制度を基本”とし、“国及び地方公共団体の負担は、社会保険料に係る国民の負担の適正化に充てる”ことを基本とすること。
(引用ここまで)

 栗林と中室は、明確にこの条文を意識して、子どもの貧困対策を「保険」として語ったわけではないだろう。しかし、保険としての子どもの貧困対策の可能性は、まさに、この条文に示されている通りだ。子どもの貧困対策や「子ども食堂」活動そのものに、公共セクターが費用を拠出したがらない背景も、この条文に示されている。公共セクターの役割は「カネを出す」ことではなく「カネは出さないけれども、“適正化“に関して口と手を出す」ことだ、と明記されているではないか。

 なお、公的文書で費用に関して「適正化」という用語が使用される時、意味する内容は、概ね「削減」「増加防止」である。

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