バブル世代の上司は、今の若手と同じくらいプライベート重視だった
当時のメディアの記事を読むと「休むことばかり考えている」「遊びは上手いが仕事は受け身」「人の話を聞かない」「目上に対する口のきき方がなっていない」「仕事に対する熱意がない」「上座を知らない」などなど、バブル世代の新入社員に対する上の世代からの苦言のオンパレードとなっている。
新入社員の意見もふるっている。「上の人は仕事、仕事で仕事帝国主義だ」「休みの日には絶対に出社したくない」「上司は何かといえば俺が若い頃は、といった話ばかり」「プライベートを犠牲にするなんておかしい」など、今の若手社員とウリふたつの意見を活発に述べている。
上司からはさんざん批判され、会社中心のライフスタイルに対してこれほど否定的だったバブル時代の新入社員は、いつの間にか完璧な会社人間となり、そして管理職になった。今では、若手に対して「忠誠心がない」「仕事を舐めている」と批判している図式だ。
筆者は心変わりしたバブル世代の上司を批判したいわけではない。若手がプライベートや遊びを重視し、上の世代がそれを認めないのは、いつの時代も変わらないと言いたいだけである。逆に言えば、バブル世代上司を強烈に批判している今の若手の大半は、20年もすれば、あれほど嫌っていた上司とまったく同じ行動を取っているかもしれない。
こうした変化は、同じ組織にいるとなかなか自覚できない。筆者は入社4年目で転職を経験し、その後30歳で起業したが、その直後に学生時代の友人と飲みに行って驚いた経験がある。
彼は入社早々「会社には絶望した」と語り、「こんなどうしようもない上司の下で仕事はできない」「ぜったいに辞める」と息巻いていた。だが8年後に再会した時、彼は同じ会社に在籍しており、見事なまでに会社人間に変貌していた。「今の自分があるのは上司たちのおかげだ」と語り、新入社員がいかにダメなのか熱弁を振るっていた。会社や上司にあれほど強く反発していたにもかかわらず、そのことは記憶の片隅にもないようで、「当時は(会社に反発していて)若かったよな」といった言葉を想像していた筆者は正直、面食らってしまった。