安部公房「砂の女」を舞台化で溢れ出る男と女の生々しいエロス

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 偉そうにふるまっていた男が、地上にいる村民に生殺与奪を握られヘコヘコしていくさまもリアルでしたが、女と肉体関係を持つにいたって、ふたりの間には一切愛が芽生えていないのもまた、真実味がありました。ともに相手が愛しいわけではないけれど、本能的に求めあうさまは、決して美しい絵面というわけでもないのにやはりとてもエロティック。生きることとセックスとの距離が、昭和時代は、現代よりももっと短かったのではと思ってしまうのは、平成の終わりが近いからこその郷愁かもしれませんが、どんな形であってもひとは生きている証として他者とのつながりを求めるものは、時代が変わっても普遍的なものなのでしょう。

 ふたりのあいだには愛はないけれど、他者を気遣う情は生まれてきます。女が妊娠して穴の外へ運ばれていき、目の前には、地上へ出られる縄ばしこが掛かったまま。男の判断はーー。

小劇場ならではの閉塞感

「砂の女」が、物理的な砂の壁に囲まれていた世界で展開されるように、安部公房の作品には、閉塞感がモチーフとして多く取り上げられます。冒頭で、著名な作家を、と記しましたが、安部公房は知名度の割りに演劇の舞台で取り上げられる回数が決して多いとはいえず、近年で目立ったのは、2017年に新国立劇場小劇場で「城塞」が上演された程度。それにはもちろん安部作品の著作権利者の意向があるのでしょうが、この閉塞感を存分に表現するためには、劇場の空間自体の大きさも影響するのではないのか、と感じています。

 名前の大きい作家や文豪の作品は、大劇場で上演されてしかるべき、とつい考えがちですが、原作の世界観を愛し尊重するからこそ、あえての小劇場。そう思うと、小劇場ジャンルの奥深さに足を踏み入れてみたくはなりませんか。

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