池袋暴走事故で過熱の「上級国民」批判、強い処罰感情と権力への不信感

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 そしてこの事故への反応は、「自分は上級国民ではない」という自覚を持つ「一般国民」が、いかに現代日本の権威や権力に不信感を抱いているかを浮き彫りにした。政治家にしろ経済界にしろ、公共社会のルールを整備する側がまったく信用されていない。これではネット陰謀論が広まるのも無理はない。

 しかし一方で、この暴走運転手へ「一般国民」の処罰感情が一気に向けられていることの危険性を無視することはできない。刑事罰は相応の手続きによらなければならず、私刑は許されないことだ。また、そもそも「容疑者(被疑者)」となった段階で、すなわち「犯人(犯罪者)」と同じ存在としてメディアが報道することの是非も問われなければならない。推定無罪を無視し、容疑者報道それ自体が当事者に罪人の烙印を押す刑罰と化している側面はないだろうか。この暴走運転手が「上級国民」かどうか、そこに「忖度」があるかどうかはともかくとして、一般的に「容疑者」となった時点で人権無視の罪人レッテルを貼られることの問題にも、目を向けたい。

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