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田原俊彦がジャニーズ圧力の真実を告白! メリー喜多川も改心!? テレビ局はもう「忖度」する必要がない

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田原俊彦オフィシャルサイトより

 SMAP解散後のジャニーズ事務所離脱組(稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾)の処遇をはじめ、「ジャニーズ事務所からの圧力」「ジャニーズ事務所を恐れるメディアの忖度」がここ数年注目されてきた。そんな中、芸能界の歪んだ構造の犠牲者のひとりである田原俊彦が「ジャニーズタブー」について口を開き、話題となっている。

 田原俊彦は「抱きしめてTONIGHT」(1988年)、「哀愁でいと」(1980年)、「ハッとして!Good」(1980年)などヒット曲を連発。近藤真彦と並んで1980年代のジャニーズ事務所を支えたトップスターのひとりだった。しかし、田原俊彦の輝かしいキャリアはジャニーズ事務所独立とともに暗礁に乗り上げることになる。

 1991年、田原はダブルティ・プロジェクトという個人事務所を設立。1994年にはジャニーズ事務所からの独立を果たす。しかし、その独立がジャニーズ事務所との折り合いをつけぬまま強行した一方的なものであるとメディアからバッシングの対象となったのだ。

 また同年には、長女誕生を報告する記者会見のなかでの<何事も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになってしまうとそうはいきません>という、いわゆる「ビッグ発言」が猛バッシングを受け、完全に「干される」状態となってしまう。

 近年ではメディアに露出する機会も増えてきたものの、田原がジャニーズ事務所独立を契機として、地上波テレビをはじめとしたメディアから一斉に締め出されたのは明らかだった。

田原俊彦「忖度したのはテレビ局のほう」

 「週刊文春」(文藝春秋)2019年5月2日・9日号のロングインタビューを受けた田原は、1990年代初頭の事務所独立について<本当によくやったよね(笑)。今の若いジャニーズの子なんてびっくりするんじゃない? 三十代前半で結婚して独立するとかさ。タレント生命を絶たれるようなもんじゃない!>と笑う。

 では、独立を機に受けた古巣からの圧力とはいかなるものだったのか。田原は「週刊文春」でこのように語っている。

<明石家さんまさんにも、『吉本の人間が吉本を出て行ったら干されるで』と言われました。実際、ジャニーズを卒業した人間で成功例を出したらまずいわけ。どこの組織だって出て行った人間を邪魔はしないにしても、応援はできない>

 ただ、田原自身はジャニーズ事務所から直接に圧力をかけられたことはないとも証言している。

<その後(引用者注:事務所独立後)は、僕を使おうとするプロデューサーもいなかった。ただ、忖度したのはテレビ局のほうなんですよ。ちゃんと言っておきたいのは、ジャニーズ事務所が直接僕に何かしたわけではありません。でも、見えない圧力はあったと思う。現に、後輩との共演は今までありませんから>

 ジャニーズ事務所の圧力の掛け方として巷間言われているのは、自らの意に沿わないメディアに対し、「所属タレントの引き上げ」や「出演拒否」といったかたちで脅しを与えることだ。本人に直接圧力を与えるというかたちで行われるものではない。

 有名な例がDA PUMPと『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に対して行ったものだろう。

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