正気なのは誰か?
イワノフの熱弁するオーケストラは妄想の産物のため、劇中の登場人物たちの目には当然見えませんが、実際は舞台の後方に35人編成で設置されており、音楽を演奏しています。イワノフにとっては気に入らない演奏、という設定ですが、映画「マイ・フェア・レディ」の編曲と指揮を手掛け、日本でもNHK交響楽団を率いたことのある作曲家、アンドレ・プレヴィンによる楽曲で構成され、ブロードウェイで上演されるかのような華麗なものです。
このオーケストラは、役者のひとりのような役割を果たしています。イワノフという役の狂気の産物のはずなのに、観客の目にはオーケストラが見え演奏が聞こえているという舞台設定の虚構は、オーケストラがいないという周囲の発言こそが目の前の事実と違えているものです。とすれば本当は、イワノフこそが正気で周囲の方がおかしいのでは、とも見ることができます。
ジャニーズなのになぜ「A.B.C-Z」は全然売れないのか?
滝沢秀明さんがジャニー喜多川氏の後継として裏方に専念することが発表され、今まさに激動期に突入しているジャニーズ事務所。そこにあって、ひっそり結成10周…
堤といえばオトナの男性の魅力あふれる俳優ですが、ハンストでやつれた収監者としての役作りのため、糖質制限して体重を相当しぼったそう。ただ自分の意見をもっているだけ、とつぶやく姿はぼんやりとくたびれていて、ときどき亡霊のように見えるシーンも。普段のかっこよさを完全に消し去ることができる堤に対し、橋本は真ん丸でツヤツヤな顔。しかしアイドルではなくちゃんと俳優として見えたのは十分善戦だと認めてよいかもしれません。
橋本の、あまり耳当たりの良くないガラガラした発声は、俳優の技量や魅力の点ではマイナスかもしれません。けれどそれによって、狂気の妄想というよりもただ思い込みの激しい(アレクサンドルとイワノフとの会話のすれ違いも相まって)、周囲にとって迷惑なだけのひとに見えていたので、精神科医たち独裁国家の体制側の主張のあいまいさをより強調する効果になっていたようにも受け取れました。
堤真一と谷原章介がそれぞれの持ち味を活かして表現しきった「民衆の敵」とは?
劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンタテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ド…
率直にいってしまえば、あらすじ自体はあっさりしたものです。アレクサンドルは自分の考える自由や正義を貫きたい人間であり、イワノフは想像という他者が直接介入できない部分が束縛されていない人間。父親の無実を信じているサーシャでさえ、彼の命を救うために、嘘をついて退院=「ご褒美」を手にしてほしいと訴えますが、アレクサンドルもイワノフも、ともに内面の「自由」を訴えているだけ。