黒人女性がアメリカ3大ミス・コンテストを制覇~変わらない差別意識と変化する美

文=堂本かおる
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 5月2日、ネヴァダ州のグランド・シエラ・リゾートにて開催された2019ミス・USAコンテンストでノース・カロライナ州代表の弁護士、チェスリー・クライストが優勝した。

 これによりアメリカの3大ミス・コンテスト「ミス・アメリカ」「ミス・USA」「ミス・ティーンUSA」の今年度の優勝者が全員、黒人となった。このことは米国史上初の出来事として大きく報道された。

 筆者がこの件をツイートすると、「今時、ミス・コン?」といった趣旨のリプライがあった。ミス・コンテストの存在自体については私も思うところがある。だが、アメリカにおける人種差別とミス・コンテストの長い歴史を振り返ると、今回の出来事は十分に一考に値するものだ。

 まずは3大ミス・コンテストの歴史を簡単に振り返る。

ミス・アメリカ

 3つのコンテンストのうち、最も古い歴史を持つのがミス・アメリカだ。第一次世界大戦が終わった3年後の1921年に水着コンテストとして始まっている。当時の出場資格には「健康で、白人種であること」という項目があった。

 第二次世界大戦の終戦年である1945年、ニューヨーク代表のベス・マイヤーソンがユダヤ系として初のミス・アメリカの栄冠を勝ち取った。ユダヤ系とは信仰や民族の名称であり、人種としては白人である者が多い。だが、当時は激しい反ユダヤの風土があり、出場そのものに非常な勇気を要した。

 ミス・アメリカは優勝後、全米を回ってキャンペーンをおこなうが、当時は「黒人、ユダヤ系、犬はお断り」の標識を掲げるホテルがあった時代だ。マイヤーソンは泊まる場所がない不便さだけでなく、精神的な苦痛や恐怖心も大いに味わった。

 そんなマイヤーソンに触発されたのか、3年後の1948年には初のヒスパニック(米領プエルトリコ代表のイルマ・ニディヤ・ヴァスケス)と、初のアジア系(ハワイ州代表のユン・タウ・チー)がコンテストに出場している。

 やがて「白人種に限る」ルールは削除されたが、黒人が出場できる社会情勢ではなかった。黒人差別撤廃を求める公民権運動が盛り上がる以前のことであり、公民権法の制定は1964年まで待たなければならなかった。その前後は激動の時代であり、1963年にケネディ大統領、1965年にマルコムX、1968年にはキング牧師とケネディ大統領の弟のロバート・F・ケネディも暗殺され、全米の黒人街で暴動が起きていた。

 公民権法の制定後も黒人への差別は続き、従って黒人解放運動は続いた。ブラック・パワー・ムーヴメントが盛り上がる1971年、ついに初の黒人出場者が登場する。アイオワ州代表のシェリル・ブラウンだ。ミス・アメリカの開始から出場までに、黒人は実に50年を要したのだった。

 それから12年後の1983年、ようやく史上初の黒人のミス・アメリカが誕生する。現在も女優、歌手として活躍するヴァネッサ・ウィリアムス(ニューヨーク代表)だ。だが、ウィリアムスも当時は脅迫状を受け取ったと語っている。また、同年にウィリアムスとミス・アメリカを競い合った南部ノース・カロライナ州代表のデニーン・グラハムは、州大会で優勝した際に自宅の庭で十字架を燃やされている。これはKKK(白人至上主義団体)が黒人への威嚇としておこなう儀式だ。

 とはいえ、以後は出場者の多様化がゆっくりとではあるが、進む。2004年には初のアジア系ミス・アメリカ(ハワイ州代表のフィリピン系、アンジェラ・ペレズ・バラクイオ)が誕生。

 2013年にはニューヨーク代表のニナ・ダヴルリがインド系として初のミス・アメリカとなったが、ツイッターに「ここはアメリカだ。インドじゃない」といった中傷があふれた。ダヴルリをイスラム教徒と勘違いする者も少なからずおり、「テロリスト」「アラブ」の中傷もなされた。

ミス・USA

 先発のミス・アメリカから1952年に枝分かれして始まったのが、ミス・USAだ。こちらは優勝者が世界大会の「ミス・ユニヴァース」に進出する。

 余談になるが、1996年から2015年まではドナルド・トランプがミス・USAの開催権を所有していた。ところが2015年、トランプは翌年の大統領選への出馬表明の際に「メキシコ人は強姦魔、犯罪者」などといったラティーノへの侮蔑を語った。コンテストのテレビ放映をおこなっていたNBC、スペイン語放送局ユニヴィジョンはこれを問題視。この件は訴訟にもなり、結果的にトランプはミス・USA、およびティーン版であるミス・ティーンUSAから完全に手を引くこととなった。

 ちなみに選挙戦中にトランプの女性ハラスメントが紛糾し、ミス・ティーンUSAの元出場者たちからも、コンテストの控え室にトランプがいきなり入ってきたという訴えが出た。少女たちの着替えの最中にトランプが控室に入り、驚く半裸の少女たちに「いつもやってることだから」と声を掛けたというものだった。

 ミス・USAも当初は白人の優勝者が続いたが、1962年に初のアジア系優勝者(ハワイ代表、マーセル・ウィルソン)、1985年に初のヒスパニック優勝者(テキサス代表、ローラ・マルティネス・ヘリング)が出ている。

 初の黒人優勝者は、ミス・アメリカから遅れること7年の1990年、キャロル・ギスト(ミシガン州代表)だった。以後、数年に1人は黒人の優勝者が選ばれ、今年で10人目となっている。

 2010年には初のムスリムの優勝者(ミシガン州代表、リマ・ファキー)も出ている。

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