父親業も仕事も大学院も…やる気に満ちていた男性が、双極性障害になって

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一人にしないでくれと泣く夫

 森家には、当時、1歳半の娘がいた。それだけでも大変なのに、健二さんは薬の副作用でほとんどの時間を寝て過ごしている。たまに起きてくれば、夢遊病者のように突飛もない行動をとる。自分の実家にも相談できず、美佳さんは孤軍奮闘しながら、育児と看病を必死でこなした。

「とにかく毎日を無事に過ごすのに必死で。夫はまともに会話ができる状態じゃないし、やっと起こしてご飯を食べさせて。かと思えば、録画がうまくできないとビデオデッキをベランダから投げようとしたり、パジャマ姿で裸足のまま急に家を飛び出そうとしたりする。躁状態を抑える薬を一錠増やしたり減らしたりするたびに、慣れるまで体調がおかしくなるんですね」(美佳さん)

 買い物に行こうにも、一人にしないでくれと泣く健二さんを置いてはいけなかった。片手でベビーカーを押して、片手に健二さんを抱きかかえて歩く毎日。出産を機に専業主婦になっていた美佳さんが働きに出る余裕など全くなかった。健二さんの会社から傷病手当は出ていたが、あとは貯金を食いつぶすしかない。それでも先のことを不安がる余裕さえなかった、という。

「どうしていいかわからなくて、先が見えなくて、もう自分が死んでしまいたい、と思ったことも正直ありました。でも私って、死にたいような気持ちも3日は持たない性格なんですね(笑)。『きっとなんとかなる』と思うようにしていました」(美佳さん)

 当時は、そんなふうに笑ってはいられなかっただろう。でも、そんな美佳さんを救ってくれたのは、幼い娘の存在だった。少しずつ大きくなり、無邪気に歌ったり踊ったりする。気分転換に家族で海に出かけると、健二さんの笑顔も見られた。

「こうしてつけてくれていた日記を読んでようやく、自分がこんなだったんだ、と。妻も苦しんでいたんだ、と思える。貴重な記録ですね」(健二さん)

  徐々に薬を減らしながら、症状が落ち着くまでは2年かかった。

 休職期間を経て一度は復帰を試みるものの、健二さんは10年勤めた会社を辞めることを決める。長い闘病生活を経て、森家の前には全く違う世界が広がっていた。

▼後編へ続く:頑張らない人生を選ぶことで広がった世界

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