大学等修学支援法可決、教育費の「無償化」という政治的表現で隠された壮大な無駄遣い

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大学よりも安い費用で深い教養を身につける手段はいくらでもある

 それでも美大はまだ比較的、履修内容が自分の将来やりたいことと直結している。それに対して一般の大学の場合、カリキュラムの多くが、社会人として必要とされる知識と大きくかけ離れている。いや、大学に限らない。すでに小中学校のうちから歴史、音楽、美術、体育などを習わなければならないし、高校では高等数学、古文・漢文、哲学などが加わる。大学ではこれらが一般教養科目として続くほか、第2外国語も取らなければならない。

 これらの科目は、将来それぞれ専門の研究者を目指すためには必要だろうが、そのような人は学生全体から見ればごく一部にすぎない。最近、一般教養科目は研究者希望者に限らず、広く社会人として教養を身につけるうえで重要だとの意見がよく聞かれるものの、そのための場が大学でなければならない理由はない。本やインターネットで独学したほうが、大学よりも安い費用で深い教養を身につけられる可能性だってあるだろう。

 このように教育制度は、多くの人にとって実社会で役に立たない知識を学ばせる場であるにもかかわらず、それを受け、卒業することが企業から採用の条件として重視される。いったい、なぜなのだろうか。

 経済学ではその理由を「シグナリング理論」によって説明する。企業の人事担当者は能力の高い人を採用したいが、限られた時間で応募者の能力を詳しく知ることは難しい。そこで代わりに学歴で判断する。高学歴の人は低学歴の人に比べ、一般的には知的能力が高く、受験勉強に取り組む勤勉さがあり、学校生活を無難に送る協調性もあるとみなす。能力を一目で示す信号(シグナル)として、学歴を利用するわけだ。

 シグナリング理論は、役に立たない知識を教える教育がなぜ企業に重視されるかという謎を、わかりやすく解き明かしてくれる。けれどもこの理論が正しいとすると、教育制度にとって不都合な事実が明らかになる。教育とは時間とお金の壮大な無駄遣いであるという事実だ。

無駄遣いを増やさないためには、大学進学を税金で支援しないことだ 

 大学のない世界を想像してみてほしい。その世界では、能力の高い子どもは高校まで進学し、他の子どもたちは中学までしか行かない。それでも企業の人事担当者は困らない。高校を卒業したかどうか、どの高校を卒業したかを能力の信号として判断すれば良いからだ。人々は大学受験や履修にかかっていた時間やお金を、より有意義なことに使える。

 大学は無駄遣いという理論が正しいとしても、現実には大学をいきなりなくすのは難しい。だが無駄遣いをこれ以上増やさない方法はある。大学進学を税金で支援しないことだ。

 米経済学者ブライアン・カプランはシグナリング理論を踏まえ、「教育をより多く受けた人がより良い仕事に就くからといって、国民全員がより多くの教育を受ければ全員がより良い仕事に就けるわけではない」(『反教育論』〈未邦訳〉)と指摘する。そうだとすれば、進学を支援する政策は意味がない。

 日本政府の「無償化」政策により、貧しい家庭の子女が大学などに進学しやすくなっても、経済の格差から生じる教育の格差問題は解決しない。豊かな家庭の子女は、たとえば海外の有名大学など、就職にとって、より有利なシグナルを手にしやすいからだ。

 教育支援の原資を捻出するため消費税などの税負担が重くなれば、国民の生活が苦しくなるというマイナス面も見逃せない。「無償化」という聞こえの良い言葉に隠された落とし穴だ。

 『かくかくしかじか』の日高先生は若くして病で世を去る。大学時代を遊び暮らし、社会人になってようやくマンガを描き始めた明子は、もっと早く描き始めて収入を得ていたら、先生が好きなイタリアでもスペインでも連れて行けたのにと悔やむ。もしも大学のない世界だったら、そのような後悔はしなくて済んだかもしれない。

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