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頭からつま先まで黒ずくめの女の子は「おしゃれ」も「ダサい」も黒く塗りつぶす【日本・吉祥寺】

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 黒の最大の特徴は、他のどの色からも影響を受けないこと、何にも染まらないことだ。

 ベルギーのアニメーション作家ラウル・セルヴェ氏は1966年に『クロモフォビア(Chromophobia)』=色彩嫌悪という短編作品を作っている。黒ずくめの軍隊が色彩に溢れる人々を弾圧し、街をモノクロに変えてしまうという社会風刺を多分に含んだストーリーだ。作品の中では、黒は恐ろしい統制の象徴として使われる。もはや「私は元から黒が好きだからOK」「カラフルなストライプもかわいいじゃん」という個人の好みに収束させて済む話ではない。自分の体に塗りつける色を誰かに宛がわれることは恐ろしい。

 猛スピードで歩き去った真っ黒な彼女は、もうどのホームへ上がっていったか分からなくなってしまった。追いかけて「あなたにとって黒はどういう色ですか」と聞いてみたかったのに。あの軽やかな裾の動きから、少なくとも誰かに強制されて着ているのではないことだけが窺い知れる。

 子供時代の私にとって、黒は「書道教室に着ていっても怒られない服」だった。液体のボトルで売られている墨汁は洗濯しても中々汚れが落ちない。そして小学生はとにかく墨をこぼす。4回ほどセーターやらスカートやらを駄目にして叱られたあと、「黒は黒で汚れない」ということに気づき、数年間黒ずくめで教室へ通い続けた。

 黒の上からは何も塗ることができない。それは自分で選んで身に付けられるという条件のもとでは、奮い立つほど心強いことだ。魂に染み込もうとするのは市販の墨汁だけではない。自分の身体の周辺に、何も影響を与えられない、既に限界まで塗りつぶされた面積を作成すること。黒いまま存在し続けてやること。それは空間にブラックホールを作ることかもしれない。ワインをぶっかけられたって、お醤油をこぼしたって、黒い私を染めることは誰にもできないのだ。

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