1番や2番を選んだ人:レベル1
被害者に同情すること・加害者に辛辣な言葉を投げかけること。どちらも正義感から出た感想だとは思われますが、いずれにせよ他人事だと捉えているところがポイントです。他人事として捉えているため、何かを見聞きしても自分への教訓としてとらえられていません。そのため、状況が変わると自分も同じような過ちを犯しかねません。
3番を選んだ人:レベル2
レベル1よりはやや進み、見聞きしたことを自分の身に置き換えて考えられています。そして、表面上の事象に対してちゃんと対応しようとしています。
そのため、この事故のことを覚えている間は無理な右折をすることはないでしょうし、直進するときも右折車を気にするでしょう。
4番を選んだ人:レベル3
問題を自分事として考えた上で、単に「直進車がいるのに右折した」という現象だけでなく、「なぜ右折したのだろうか?」と考え、「だろう運転は危ない」と考えられる人です。
そのため、運転しているときは常に、「突然物陰から飛び出してくるかもしれないから気をつけよう」「前の車は急ブレーキをかけるかもしれないから適切な車間距離を取ろう」と気をつけるようになる人です。
5番を選んだ人:レベル4
「だろう運転は危ない」という考えからさらに一歩踏み込み、「『相手がわかってくれているだろう』と考えること自体が危ないよな」と考え、車の運転に限らず、いかなるコミュニケーションの場面においても注意を払おうと考えられている人です。
そのため、車の運転中に注意するだけでなく、コミュニケーション全般で丁寧な確認を行えるようになります。たとえば、部下に仕事を依頼するときに「伝わっているだろう」と決めつけず、相手の理解度を確認しながら話を進めるといった配慮ができるわけです。
一を聞いて十を知る人とは?
レベル4のように何事も学びとして深められる人は、「一を聞いて十を知る」と評されます。ひとつの経験から複数のシーンに適用できる教訓を得ているため、学んだ知識自体は多くなくても、さまざまなシーンで行動が良い方向へと変わります。
一方、レベル2の人は、今回のように報道を通じてではなく、実際にだろう運転による事故を目の当たりにしなければ、だろう運転の怖さを学び取ることはできません。しかも、すべての事故を記憶しておくことは人間には難しいため、いくつかの事故を目にした頃には最初の事故のことは忘れてしまっているでしょう。
一を聞いて十を知る人とそうでない人との間にあるもの。それは「思考の解像度」にあります。
今回のケースでは
レベル1:他人事として捉えた。
レベル2:自分事としてとらえ、目の前の事象についてのみ思考した。
レベル3:目の前の事象だけでなく、「なぜそれが起きたのか」を考えた。
レベル4:目の前の事象が起きた理由を一般化した。
という思考フローがあるわけです。目に見えることだけでなく、さらに思考を深めていっていることがわかります。