DV加害者に必要な対話とは? 暴力的なコミュニケーションを肯定する「男らしさ」の“学び落とし”

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非対称な関係性に根ざした「関係コントロール型暴力」

清田 中村先生は著書『ドメスティック・バイオレンスと家族の病理』で、「親密な関係」に秘められた危険性について述べられていました。距離が近く、身体接触の機会も多く、精神的な一体感があり、自他の境界や認識が薄れていく──。そういう関係の中で暴力も発生しやすくなるという指摘でした。

中村 そうですね。夫婦や恋人だけでなく、親子や師弟、教師と生徒や上司と部下なんて関係もそこに含まれると思いますが、こういった非対称な関係性に根ざして立ち現れる暴力を私は「関係コントロール型暴力」と呼んでいます。ここで言う暴力はもちろん身体的なものだけでなく、心理的、感情的、言語的な暴力も含まれますが、それらを用いて被害者の心や身体、思考などをコントロールしようとするわけです。

清田 前編で先生が挙げてくれた暴力の事例、過剰な束縛や性の強要、避妊の拒否、暴言、無視、侮辱、自尊心を打ち砕く、自由を奪う、相手を孤立させる、責任の転嫁や放棄、監視、ストーキング、セカンドレイプ、マインドコントロール、プライバシーの暴露……いずれも、まさにそれですよね。

中村 こういったものの土台にあるのが男らしさの問題です。これまで述べてきたように、そこでは暴力が容易に肯定されるどころか、暴力によって自己を形成し、他者との関係を構築していく習慣すらある。男性にとって暴力は相手との境界線を越えるためのツールになり得てしまうんですよね。古くは殴り合って友情を深める男性たちの姿が映画や漫画にはよく描かれていたし、競い合いによって互いに切磋琢磨していくとか、あるいはイジりやからかいによって絆を確かめ合うといったコミュニケーション様式も極めて男性的です。

清田 DVやデートDVも、そういう男性的コミュニケーションの延長線上にあるというわけですね。僕も昔、ヘアスタイルをショートボブに変えた恋人に対して「ちんちんみたいな髪型だね〜」とからかい、泣かせてしまったことがあるのですが、思えばあれも一種のデートDVだったのかもしれません。

中村 どうしてそんなことを言ってしまったの?

清田 そのとき周囲には男友達も数人いて、彼女をイジって笑いを取ろうという意図があったんですが、心の奥底のほうでは、恋人の新しい髪型があまり好みの感じではなく、その感情が攻撃性のあるイジりとして発露してしまっていたのではないか……と今の話を聞いていて思い直しました。

中村 もしそうだとすると、清田さんの取った行動は一種の「関係コントロール型暴力」ということになるかもしれませんね。

清田 こういう「男らしさ」に根ざした加害性について、我々男性はどのように自覚することができるのでしょうか?

中村 もちろん「男らしさ」といってもその内実は多義的だし、当人の性質やそのときに置かれた状況、また相手との関係性や社会状況なども関係してくるため、「これをすれば暴力は防げる」という万能な対策があるわけではありません。しかし、私も関わっている「脱暴力のプログラム」など、加害者臨床の現場で培われた知見やノウハウは非常に役立つと考えています。それは「アンラーン(脱学習)」といって、暴力と結びつきそうな男らしさの習慣や思考、認知の癖などを“学び落としていく”というものです。

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