結婚して初めて、安心できる居場所を獲得できたからこそ、見えてきた社会

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性差別に気付かないふりをしていた

 安心して暮らせる家と、夫というかけがえのない家族を手に入れたことで、いままで考える余裕のなかったことを考えられるようになりました。それまでは、逆上する母親を宥めたり、弟からの性的なからかいを一生懸命分からないふりをして受け流したりすることで体力と精神力を使い果たしていたことに気付いたのです。

 そうして考えはじめたことのうちのひとつに、「女として生きること」というものがあります。いままでもずっと女として生きてきたつもりですが、改めて振り返ると、人生のうちで何度も「女だから」という理由で抑圧され、理不尽な目に遭ってきたことに気付きました。いままではそれが分からないくらいに疲れ果て、またそれらの理不尽な出来事があまりにも当たり前に行われていたので、理不尽であるということにすら気付かず通り過ぎてしまっていたのでした。あるいは、気付かないふりをしていた方が楽に生きられたからかもしれません。

 夫という家族を得て、その先の未来について考えたとき、私は自然と“子供”の存在を意識しました。私自身は毒親育ちだけれども、信頼できる夫となら子供を育ててみたいと思えたのです。そしていつか生まれてくる子供を思ったとき、その子供の性別が何であれ、“女性が女性である”というだけの理由で抑圧され、理不尽な目に遭わされる世界を手渡したくはないと強く思ったのです。

 そうして私は“フェミニスト”を名乗るようになりました。

 フェミニズムに関することをツイートしたりすると、見知らぬ他人からひどく罵られることがあります。その人たちは一様に、フェミニズムとは男性を貶め、世の中の全ての物事が圧倒的に女性に有利になるよう推し進める運動に見えているようでした。でも私は、フェミニズムとは全ての性別の人が共存し、共闘するためのものだと信じています。

 これからフェミニズムに関することや、生きづらさを感じている人へ向けた文章、そして「夫婦で生きる」ということについてなど、書いていければと思います。よろしくお願いいたします。

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