
「Getty Images」より
ネットが社会の基礎インフラとなったことで、あらゆる問題に関して、国民がどのような意見を持っているのか容易に把握できるようになった。世論調査に代表されるような型にはまった手法を用いるしかなかった時代と比較すると、まさに雲泥の差といってよいだろう。
だがネットの普及は、別の問題を可視化する作用ももたらしている。それは社会問題の解決に対するわたしたちの根本的な態度である。
誰かのせいにしても問題は解決しない
ネットで世論を分析していると、ある特徴的な傾向を見いだすことができる。それは、発生した問題の原因について、わかりやすい誰かに責任を負わせたいという願望である。つい最近、老後には2000万円が必要との記述で大炎上となった金融庁の報告書についても同じ傾向が見て取れる。
政府の対応にさまざまな問題はあるが、年金が減額される可能性が高く、相応の貯蓄がないと豊かな暮らしはできないのは事実であり、多くの人は漠然とそれを知っていたはずである。だが実際に政府が明示的にこの現実を示したところ、一部の人がパニックを起こしてしまった。
事実関係だけに的を絞れば、ずっと前からわかっていたことであり、制度を維持するためには、報告書にある通り、年金を減額するか、そうでなければ国民負担を大幅に増やすかの二者択一しか解決方法はない。
だが、ネット上では「誰が悪い」のオンパレードである。
ある人は平均値を用いて乱暴な結論を出した金融庁が悪いと批判し、ある人は、どの政権が「年金は大丈夫」と言ったのかという話に血道を上げている。別の人は、年金財政について報道をしてこなかったマスコミが悪いと金切り声を上げている。
確かにそれぞれに改善すべき点はあるだろうが、ここで「誰が悪い」と罵り合ったところで年金財政が好転するわけでもなければ、老後の生活が改善されるわけでもない。たいていの場合、ひとしきり罵り合ったところで、多くの人が忘れてしまうという経過をたどるので、結局、何も問題は解決しないパターンが圧倒的に多い。