母親がひたすら手をかけないと赤ちゃんがうつに? 「サイレント・ベビー」説の源流を探る

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 著者が小児科医になったのはこの本が発表される30年前との話ですので、バブルに踊り狂う日本を見て「日本はどうなっちゃったんだろうねえ~」と憂う気持ちはわからなくもありません。それはもしかしたらバーキンやリムジン装備で盛りまくり、時にはラグジュアリー読書会(参加費52万円)なんて謎集会も開催しちゃうようなキラキラ女子たちを眺めている自分の心境と、似た成分が含まれているかも。さらに当時は1986 年の男女雇用機会均等法施行もありましたから、女性たちの生き方が多様化していく分岐点でもあったでしょう。さぞかし育児用品界隈も、多機能や時短要素の需要が爆上がりしたとお見受けします。

「これくらい厳しい論調をぶつけないと聞く耳を貸さん!」と思ったかどうかは知りようがありませんが、そんな時代背景を鑑みてひとまずそういう感じなのかな~とうすらぼんやり想像し、トンデモ節にのぼせないようクールダウンさせながら、同書の主張を見ていきましょう。

託児するなら人一倍神経を使え

「サイレント・ベビーは病気ではない。しかし私には、静かであまり泣かず、目の輝きにもお母さんを求めようとする意欲が欠けている赤ちゃんが増えつつあるように思えてなりません」

 「愛情たっぷりにお世話しないと、うちの子がうつ状態になるかも!?」と世のお母さんたちを不安にさせるお説の始まりが、ズバリここ。自分的には「目の輝き」って、根拠のない呪い成分たっぷりの要注意キーワードに思えるので心を閉ざすスイッチでしかありませんが、未だにこの言説に不安を覚えるお母さんたちがいるので大問題です。「母乳で育った子は目の輝きが違う」だの、「自然に生まれてきた子は目の輝きが違う」だの、医学的根拠のない語りで多用されすぎ~。

 じゃあどうすれば、サイレント・ベビーにならないのか? という対処法は、何が何でもとにかくママママママ。ゆえに「経済を優先するため、子どもを預けて女が働くこと」には、憤慨といっていいレベルのお説を繰り広げます。たとえば、こう。

・乳児期にはお母さんとのつながりが質的にも量的にも必要で、他人との交際はあまり必要でない。

・たかだか1年間、カワイイ赤ちゃんのために育児に専念しようという気にはならないのか。

・どうしても仕事に出なければならない環境の場合は、赤ちゃんに謝る意味も込めて、人一倍スキンシップに専念しなければならない。おばあちゃんで代用したり、お父さんにいつもお願いするのもダメ。赤ちゃんにはお母さんがかけがえのない最良の相手。

・両親がなく、施設に入れられた子どもは心身に障害が出るケースがある。保育園や託児所の子どもたちにも、このような厄介な状態になる危険性があることを忘れてはならぬ。わずかな期間だとしても、その可能性がある。

・どうしても預ける場合は可能なかぎり時間を短くして、家では普通の家庭よりもコミュニケーションを密にし、お迎えは絶対お母さん。おばあちゃんに預ける場合も同様。託児するなら、育児のことには人一倍神経を使わなければならない。そうすることがお母さんの罪滅ぼし。

・離乳食(もちろん手作りで、ジュースも新鮮な果物を手で絞る)もこまめに、母乳は少しぐらい無理をしても人工栄養などに変えない努力をしなければいけない。

・おむつの交換はお母さん。おむつ替えはお母さんの愛情を示す最もよい機会なので、結果的にそのほうが赤ちゃんが幸せ。父親がおむつを交換すると、赤ちゃんがお父さんとお母さんの区別をつけられなくなる。母子の絆を強くするときなので、お父さんが介入すべきではない 。

・おばあちゃんは間違いなくお母さんが育てるよりも子どもを溺愛するので、赤ちゃんの精神発達衛生面から見てよろしくない。また子どもを育てるときはやはり若いということが必要。赤ちゃんの扱いは、歳をとった人よりも若い人の方が的確。赤ちゃんの危険を避けるためにも、若いお母さんの方が育児には適している。

 ……高齢出産や共働きがめずらしくない、いまの世の中を見て何とおっしゃるのか、ちょっと知りたくなってくる。

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