裁判員制度は定着したのか? 裁判員の辞退と無断欠席が相次ぐ理由

【この記事のキーワード】

人を裁くことにためらいを感じるような人が参加してこそ、裁判員制度の意義がある

 裁判員をやることに人々が二の足を踏む理由はほかにもある。自分に人を裁くことができるだろうかという不安やためらい、被害者や被告人に恨まれるかもしれないという危惧……。

 裁判員裁判で扱う事件は殺人罪、強盗致傷罪、傷害致死罪といった重大な刑事事件で、死刑か否かを判断しなければならない場合もある。心理的負担を感じ、ためらうのも当然だ。

 しかし、そのようなためらいを持ち、人を裁く重さを感じている市民が参加することにこそ、裁判員制度の意義があると、前述の大城弁護士は指摘する。同じことを、痴漢冤罪を描いた映画『それでもボクはやってない』の周防正行監督も、東京新聞でコメントしていた。

 大城弁護士はさらに、自分は人を裁くことはできないと考えて裁判員になることを拒むことを「良心的裁判員拒否」と名づけ、人を裁く重みを真剣に考えたうえで、「責任を持って引き受ける」だけでなく、「拒否する」という選択肢もあっていいのではと提案している。憲法には思想・良心の自由が定められており、強制は憲法に反する恐れがあるからだ。

 市民の裁判員裁判への参加意欲が低迷していることは深刻に受け止める必要があるが、だからといって参加を強制すればよいという種類の話でもない……。

 市民一人ひとりがそれぞれの責任感と良心に従って司法に向き合う仕組み作りのためには、まだまだ議論を重ねる必要がありそうだ。

1 2 3

「裁判員制度は定着したのか? 裁判員の辞退と無断欠席が相次ぐ理由」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。