
虐待サバイバーは夜を越えて
日常的な暴力や性虐待で親に支配されて育った子どもも、いずれ「おとな」になる。本連載では、元・被虐待児=虐待サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のその後」を内側からレポートする。
今年3月26日に名古屋地裁岡崎支部で出た無罪判決について、「なぜ」という疑問と怒りの世論が噴き上がった。その事件とは、被害者の女性(事件当時19歳)に、被告人である実父が性行為を強要したとして、準強制性交罪に問われたもの。判決文では、被害者は小学生の頃から父の暴力を受けていたこと、中学2年生から性虐待があったことを事実と認定したにもかかわらず、19歳当時の事件については「抵抗が可能だった」として無罪判決が下された。検察は控訴している。
平穏な家庭に育った人間にしてみれば、この事件の舞台となった家庭には、とんでもない判決が出たものだと憤るのは当然のことかもしれない。議論は必要だ。ただ、結果的に無罪になろうと有罪になろうと、加害者の暴力が「なかったこと」にはなるわけではない。そして被害者の人生は続く。
今回取材に協力してくれた綾さんは、17歳まで家庭で実父の虐待を受けて育った女性だ。
「こんな“複雑な人間”をヨメにするなんて、変わった人だなぁって思いましたよ」
待ち合わせたカラオケボックスで、チーズケーキをぺろりと平らげた綾さんは、ふふふっと可笑しそうに笑った。
セックスは生涯で一度だけ
佐久間綾、35歳。共通の趣味がきかっけで知り合ったという直樹は、自動車会社の経理企画部。2009年に入籍し、東京近郊に注文住宅を購入した。2年前から念願だったネコを二匹飼い、綾自身は段ボールの製造会社でパートをしながら二人と二匹で仲良く暮らしている。
「長く働いているんで、時給は1100円まで上がったし、待遇もいいですね。取引会社に飲料や食品のメーカーが多いから、格安でジュースやお菓子が買える。それもありがたくて」と職場の居心地良さを語る。それだけ聞けば、順風満帆でおだやか。「幸せそのもの」といった暮らしぶりだ。
しかし綾は、心に地雷を抱えている。そのせいで、子どものころから「結婚なんて無縁なことだ」と遠ざけてきた。地雷は今もときどき爆発しては、綾を肉の内側から壊す。
「わたし、セックスができないんです。19歳のときに一度だけ“した”けど、やっぱりダメでした。気持ち悪くなっちゃって。キスも無理です。がんばって手を繋ぐのが限界かなぁ」
「でも、ダンナは『それでいい』って言ってくれたんですよね」
夫へ感謝に似た思いを感じる一方で、アイツのせいで――と苦々しく浮かんでくるのは、決まって父親の顔だ。