
johnnys net公式ホームページより
2020年いっぱいで活動を休止する嵐が、先月29日放送の『SONGS』(NHK)に出演。不遇の時代を語ったことが、ファンの間で「泣ける」と話題になっている。
1999年のデビュー、人気に伸び悩んだ時期を経てのブレイク、“国民的アイドル”に駆け上がってからの葛藤……『SONGS』では20年間を振り返りながら、メンバーそれぞれが当時の思いを赤裸々に語った。
嵐の結成は1999年。9月にハワイ・ホノルルでデビューを発表する記者会見が開かれ、確かに「華々しいデビュー」だった。
当時はジャニーズJr.の黄金期。滝沢秀明を筆頭にジャニーズJr.全体が凄まじい人気を獲得していた。嵐に選ばれた5人も、そんな黄金期を支えたJr.たち。デビュー当時の嵐は全員が10代後半で、平均年齢は16.6歳、世間的にはまだ子どもと呼ばれる年齢だった。
相葉雅紀の病気で「これはもう終わった」
しかし、デビューして最初の数年間、嵐の人気は伸び悩んでいた。CDシングルをリリースしても「オリコン1位」を取れず、ライブの集客率も振るわなかった。先が見えないことに不安を抱き、自分たちの個性は何だろうと模索する日々だったという。
デビュー4年目の2002年には、相葉雅紀が肺気胸で入院。相葉は、「これはもう終わった」と思ったという。「次の人生を探さないと」と、そんな話も出ていたようだ。
傍から見れば、ジャニーズ事務所という大手芸能プロダクションの庇護下にあり、大ブレイクとはいかなくとも多くの女性ファンに応援され、定期的にCDリリースとライブ、ドラマ出演など個々の仕事もあって、焦るような状況ではなかったかもしれない。けれど本人たちは切実な思いを抱えていたのだろう。
2001年秋に嵐はレコード会社を移籍し、プライベートレーベル「J Storm」も立ち上がったが、メンバーの思いは複雑だった。
<あれ、これ、じゃあ俺ら見込みがないってことかなって、ちょっと思ったりもしたいました>(相葉雅紀)
<前進するために移籍したんだろうなみたいなことが若干曖昧で、変わったからこそ結果出さなきゃなとか>(松本潤)
その後は櫻井翔のラップなど、グループの個性を模索しながら徐々に人気を集めていった嵐だが、2005年までは不安な時期が続いた。
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