政治・社会

キム・カーダシアンの「kimono」は文化盗用か 「正しさ」そのものの多様性

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文化は互いに混じりあい、影響を与えあうことで発展してきた

 キム・カーダシアンが下着に「kimono」と名づけようとしたことを歓迎はしないが、仮にその名が実際に商品に使われたとしても、それによって米国やその他の国において着物の販売が落ちたりすることも、在米日系女性の職が奪われたりすることもなかろう。ハリウッドではマイノリティが演じるべき役を白人が演じるwhitewashingが問題になっていて、文化盗用問題と通底するものがあるが、この件はマイノリティの活躍の機会を奪うwhitewashingとは異なる。

 それよりも、こうした事例が積み重なることで、非日本人の人々が着物を「自分が触れてはいけないもの」として遠ざけてしまうことのほうがよほど悪影響があるだろう。米国社会におけるアジア系女性の地位向上や差別への反対に異論はないが、着物を愛好する米国人を否定することでそれが実現できるわけではない。

 もとより、文化盗用についてきちんと研究している人たちは、この概念が濫用されることに対しても警鐘を鳴らしている。もともと文化は互いに混じりあい、影響を与えあうことで発展してきた。古くからの伝統と考えられているものも実際には絶えず流入するさまざまな文化の影響を受け、時代に合わせて変化し続けている。文化盗用の問題も、重要なのは保護と利用のバランスだ。

 そのバランス自体、それぞれの社会に固有の文脈によって異なっていてしかるべきであり、それらの間には基本的に優劣はないはずだ。グローバル化した現代社会においては、それらが摩擦を起こす事態を想定しておかなければならない。世界の一地域における考え方が当たり前のように世界中に適用されるといった態度こそ、傲慢の誹りを免れないだろう。

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