難関校はもともと学力の高い生徒が集まっているだけ?「良い学校」の見極め方とは

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ギリギリ難関校に合格・不合格となった生徒のその後

 今回紹介するのは、ニューヨークとボストンで、ギリギリ難関校に合格・不合格となった生徒達、すなわち疑似的にランダムに難関校と非難関校に割り振られた生徒達のその後を追った、経済学の有名雑誌に掲載された論文です。

 その結果はどうだったのかというと、端的に言えば難関校へ進学する効果はニューヨークでもボストンでも確認されませんでした。具体的には、在学中に受ける学力テストだけでなく、日本のセンター試験に近いSATという試験の成績、進学した大学のレベルの全てで難関校と非難関校の生徒を比較しても、意味がある程の差は生じていなかったということになります。つまり、ギリギリ合否が分かれるような集団に限ると、別に難関校に行こうが、非難関校に行こうが、結果に対して違いは無いということです。そうであれば、公立の難関校など設置せず、高学力の生徒が公立学校に行き渡るようにした方が学力格差や低学力層の底上げという観点から望ましい、ということになります。

 ただし、ニューヨークやボストンの結果が東京にも当てはまるのか? という根本的な問いを除いても、この結果だけをもって難関校への進学は効果が無いと言い切るには二つの問題があります。

 一つは、紹介した研究をはじめ、この手の「難関校には効果が無い」と示した論文の大半が同じ手法を使って分析している点です。合格ラインぎりぎりの集団については恐らく難関校へ行っても行かなくても大差はないと考えられますが、難関校でもトップクラスの学力を誇るような集団についても難関校へ進学することは意味が無いのかどうかは、この手法を用いる限りは明らかにすることができません。

 前回の記事でも、ケニアの学校の先生は成績優秀層の指導に情熱を燃やす傾向があることに触れましたが、もし難関校がそういう特徴を持っていた場合、ギリギリ合格するような生徒が放置されていて、この集団には難関校に進学する意味がさほどないとなっていても不思議なことではありません。

 もう一つの問題は、難関校は生徒の学力を伸ばすことを目的としているのかどうかが分からないという点です。「教育の成果は学力試験で測れるものだけではない」というのは教育経済学をやっていると他分野の人から耳にタコができるほど聞かされるセリフです。難関校にこそこのセリフが当てはまるのかもしれません。

 米国のエリート寄宿制学校の話を聞くと、リーダーシップや連帯感、自分は金持ちだから成功したのではなくそれに相応しい努力をしたからだという厚かましさを植え付ける洗脳教育に力を入れているようですが、こうした考え方は当然ながら学力テストの結果には反映されません。保護者達が難関校にこのようなことを期待していて、特に学力向上には無関心である場合、学力テストやセンター試験での成績が向上しなかったからといって、難関校に教育効果が無いとは思わないでしょう。

まとめ

 比較的コンセンサスが取れているのは、自分の子供が難関校へ受かるかどうか微妙なラインにいて、かつ難関校へ入学して学力が向上することを期待しているのであれば、恐らく難関校へ進学する意味はさほどないというものです。そして、もしその難関校への進学に大金が必要なのであれば、大金に見合っただけの成果は見込めないでしょう。

 しかし、難関校で子供に身に付けて欲しいものが、リーダーシップであったり、社会に出てから役立つコネ(OB・OG・ご学友)である場合、難関校へ進学しても意味がないとは言い切れないですし、数学オリンピックで金賞を受賞したり、ジョン・ベイツ・クラーク賞を獲得するような学力を望んだ場合も難関校への進学に意味がないとも言い切れないのが現状です。

 結局のところ、ピア効果の話と近く、自分の子供の特徴及び子供に望むものと、進学希望先の特徴をよく分析して、その難関校への進学はどうなのかを考えるしかありません。進学希望先が良い学校なのかそうでないのかは、究極的には子供と学校の特徴及びその学校に期待するものに依存するものなのです。

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