長瀬智也はジャニーズ退所しなければ歌えないのか? 「バンド」としてのTOKIOへの愛

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 長瀬がそこまでしたのは、自分の音楽活動をサポートしてくれる環境がジャニーズ事務所にはなかったからだ。自分の欲しい音を得るためには具体的にどうすればいいのか、方法を知らなければその音は絶対に得られない。彼は「音楽と人」でこのように語っている。

<良くも悪くも僕らの会社は、音楽に特化した会社じゃないから、それを知ってるスタッフがいるわけじゃないんです。ってことは、自分がまず先頭に立って、そのスタッフに指示しなくちゃいけないんですね>
<誰かの音楽を聴かせて「こんなサウンドでやりたい」って言ってもダメ。自分がちゃんと理論的に説明出来なきゃいけないんです>

長瀬智也が音楽にのめり込んだ理由

 長瀬がそこまで音楽にのめり込んだのはなぜなのか? 彼はこのように語っている。

<だって音楽って、自分がいいと思ったものが正解なんですよ。自分のやることが正解だって、これまで思えたことなかった。周りの評価や数字がすべてだったから。音楽は自分がジャッジ出来るし、これが自分だって胸を張れる、そういうものだと思ったんですね>

 映画・ドラマでの俳優の仕事でも、バラエティ番組での仕事でも、どちらの仕事においても演者はあくまでもチームのなかで与えられた役割のひとつをこなすことを求められる。

 もちろん、そのなかで各々の創造性を発揮する場面はあるわけだが、クリエイティブにおけるリーダーは監督やディレクターであり、俳優やタレントに決定権はない。なので、自ずと周りの評価や数字が気になる面は出てくるだろう。

 もちろんTOKIOとしての音楽活動にも、バンドやスタッフとの人間関係、CDの売上やライブの動員数などの数字が出てくるが、まず誰かにオファーされなければなにも始まらない俳優やバラエティタレントとしての仕事と、自分ひとりで作品を1からつくることのできるミュージシャンとしての仕事が明らかに違うのは確かだ。それは、アイドルとして多様な仕事をする長瀬にとって、ひとつの安らぎであったのかもしれない。

長瀬智也にとってのTOKIOとは?

 「音楽と人」のインタビューを読んでいると、テレビでの彼しか知らない人には驚くような会話が続出する。たとえば、自宅のスタジオでは音楽ソフト(Logic Pro)を使ってタワー・オブ・パワー(1970年にデビューしたアメリカのファンク・R&Bバンド)やグレイトフル・デッド(1965年デビューのアメリカのロックバンド)の楽曲を再構築しているといった話や、ジョン・スコフィールド(アメリカのジャズ・フュージョン系ギタリスト)が来日する時は必ずライブに行くが、彼のソロ中に伴奏するギタリストの技術が気になるので、ついついそちらの方ばかり見てしまうという話など、長瀬の話からは音楽に対する深い愛情がひしひしと感じられる。

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