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当事者は「政治利用」できるのか?――れいわ新選組が可視化した論点

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写真:つのだよしお/アフロ

 参議院選挙の投票日が近づいてきた。今回も悩ましい。

 SNS上で「マスメディアから表立って政策や選挙活動を報道されていない」と指摘が相次ぐ、れいわ新選組が話題だ。れいわ新選組の選挙活動には、ほかの野党の応援に出向くことや、大河ドラマ『新選組!』に出演していた元俳優・山本太郎の熱量のある演説スタイルなどポイントがいくつもある。

 だが、ここで注目したいことは、れいわ新選組が鮮やかに浮上させた論点である。つまり、「何らかのマイノリティとしての当事者性をもつ国会議員がきわめて少ない現在の日本社会のままで本当によいのか」という論点である。今回の選挙において、障害や難病、不当解雇されたシングルマザーといったさまざまな当事者と呼ばれる人々を立て続けに擁立することで、れいわ新選組は当事者で(も)ある国会議員を選ぶか否か、という点を重大な論点として有権者の前に急浮上させたのである。そうした政党としてのスタイルと、そのスタイルに対して散見される「当事者を政治利用している」という人々の反応に対して僕が感じた戸惑いについて、ここでは考えてみたい。

 本題に入る前に、2つだけ補足しておきたいことがある。

 まず、選挙についての記事を書いているのに「なんちゃって価値中立・客観的」を自称する行為は最高に無反省で無責任な態度だ、と僕は思っている。だから、本題に入る前に少しだけ自分の価値判断や状況認識についても書いておく。

 僕自身は「当事者の政治利用だ」とれいわ新選組を批判する人々の声にも、「当事者だから国会議員になるべきだ」と述べる人々の声にも、正直にいえば、どこかで戸惑いを覚えている。だからまだ、誰に投票するか決めかねており、期日前投票にも行っていない。

 それにもかかわらず、当事者やその身の回りの人のなかから国会議員がでてくることに、どこかで期待を寄せてしまっていることも申し添えておく。ここでおこなおうとしている指摘は、突拍子のないことでもなんでもないし、新鮮味もそれほどないだろう。言ってしまえば、ベタだ。でも、ベタなことを思い出しておくことも、それほどわるくないとおもう。

 また、以下では(国民の)代表と書くべきところを、あえて「代理」と書いている。なぜなら、SNS上でしばしば、国会議員を「自分たちがその指示に従うべき指導者」として選び出そうとしているような投稿を見かけたからだ。わたしたちは従うべき指導者を「代表」として選び出すために選挙に行くのではない。忙しい日常生活で右往左往している自分(たち)の代わりに、国会で論陣を張る「代理人」を選び出しているのだ。このニュアンスを強調するために、ここでは代表という言葉ではなく、あえて代理という言葉を使うことにする。

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