ひきこもりとは「人間関係を遮断せざるを得ない程に傷つけられた状態像」
――ひきこもりの定義として、厚生労働省は「ひきこもり」の定義を6カ月以上にわたって家族以外の第三者との接触がない状態と定めています。
深谷:あくまでも調査をするうえでの定義はそうなっていますが、「ひきこもり」の状態像としては「人間関係を遮断せざるを得ない程に傷つけられ、追い込まれていった人」と考えています。
ひきこもりになる背景はさまざまです。たとえば、「学校や組織でのいじめ」「大学や会社等での人間関係のトラブル」「就職活動の自己肯定感の喪失」「ブラック企業での疲弊」「派遣切りや再就職の難しさ」などがあります。中には離婚や、親の介護疲れがきっかけになることもあります。精神的な疾患や発達特性などがあって、人との関係性を結ぶことが困難な方々もいます。いずれも人間関係に疲弊し、関係性を遮断せざるを得ない状態に追い込まれています。
――今の日本社会では、「傷つけられた人」というひきこもり像は見えづらく、ひきこもりの方々をひと括りにし「甘え」「自己責任」といった否定的な見方が強いように感じます。
深谷:「ひきこもりは努力が足りない」といった考えを持った人は多いです。特に70代から80代の方は、極めて特殊な右肩上がりの高度成長期時代を生きてこられました。いい学校に行って、いい企業に入れば、大方将来は安泰であり、努力をすれば報われるのが当たり前という意識があるように思います。そのため、ひきこもりになった本人に対しても、「偏差値の高い学校でないと」「正社員でないと」などの価値観を押し付けてしまうことも少なくありません。
しかし、今は社会構造も大きく変わってきています。たとえば、昔は人とコミュニケーションをとることが苦手な人でも、相応に見合った仕事がありました。例えば職工さんやそろばんや電卓を用いた経理等、社会の中で就労という形態による居場所があったのです。しかし現代は、そういった仕事の多くをコンピューターが担っており、雇用のシェアの7割が人とのコミュニケーションを必要とするサービス業というデータもあるほどです。企業も採用にはコミュニケーション能力を求めますし、人間関係が苦手なコミュニケーション能力が乏しい人には生きづらい時代になりました。
まずは家の中を安心・安全な場所にする
――時代が違えば、生き方も価値観も変わりますよね。ご家族の方はひきこもりをどう捉えればよいのでしょうか。
深谷: KHJでは「ひきこもり」は悪いことではなく、“生き方のひとつ”として捉えています。ひきこもることも、また生きていくひとつの方法です。しかし、ひきこもることで生活上の困りごとが生じてしまうことがある。その困りごとに一緒に対応していくことが私たちKHJが取り組んでいることです。つまり、“生き方の支援”です。
――“生き方の支援”とは?
深谷:マズローの欲求段階説というものをご存知でしょうか。人間の欲求には段階があると説明したものです。

生きる意欲の階層
まず、図の一番下にある「生理的欲求」は、住む家や食べるもの、睡眠といった自分の独力ではどうにもならない欲求です。人は生理的欲求が充たされてはじめて、「安全の欲求」を求めるようになります。先に説明したとおり、ひきこもりは人間関係を遮断せざるを得ない程に傷つけられた人々です。ひきこもった後も、世間の目や見えない圧力と絶えず戦っており、人に対する安心・安全感が不足しています。
従って、まずは家の中を安心・完全にすることが重要です。誰からも批判や非難されない環境で、安心してひきこもれるようにする。逆説的ですが、そうすることで初めて、ひきこもることに費やすエネルギーを生きるエネルギーへと変えていくことができる。そういう安心・安全の場を、唯一本人と接触できる家族が与えていくことです。
――家族は具体的に何をすれば安心・安全感を補うことができるのでしょうか。
深谷:まずは、ひきこもり本人を「どうにかしよう」という考えを捨てることです。批判や非難をするのではなく、ひきこもっていてもかけがえのない存在なんだという愛情と安心感を持って本人と接する。そうすることで家族との関係が安定し、本人が人間関係を回復させていく一歩となり得るのです。