――親が「良かれと思って」言った言葉でも、ひきこもりの当事者からすれば傷つく言葉もあると思います。
深谷:ひきこもりの当事者や経験者が自らの声を発信しているメディアに「ひきこもり新聞」「ひきポス」という冊子があるのですが、本人にはこのような言葉がNGワードという記事が紹介されています。
・「周りの人たちの気持ちも考えて」(常識・正論・指導)
・「もっと頑張らないと(長くひきこもってたんだから)」(励まし)
・「ご両親もいつまでも元気じゃないんだから」(一般論・正論)
・「君はいったい何をしたいの」(非難)
・「あなたはこうなんだから」「それは無理」(思い込み・決め付け)
・「えらいね~」「よくできました」(子ども扱い→自己卑下)
参考:「私たちが望む必要な支援」より
――非難や決め付けに加え、過剰な子ども扱いなども逆効果なんですね。
深谷:けれども、ご家族も本人が部屋にこもりっきりで何をしているのかわからない状態が続けば、不満や心配も積もり、疲弊していきます。そういう葛藤や苦しい気持ちを吐き出す場所が「家族会」です。不満や苦しみを直接本人にぶつけるのではなく、家族会の中で吐き出すようにして、本人と向き合うエネルギーを育み、適切な距離感を学んでいくことが大切です。家族会では、同じ境遇のご家族との分かち合いを通じて、ひきこもりに対する理解を深めてもいきます。
――家族会は、気持ちを吐き出す場所でもあるのですね。
深谷:家族が家族自身の人生を楽しむことも大切です。ひきこもりの方々は絶えず家族に対して負い目を感じています。「あなたがいるから何もできない」という状態が無言のプレッシャーになることもあるので、家族会では「自分の人生を楽しんでください」「夫婦で旅行などに行って下さい」と話すこともあります。
親が旅行に行くことは、自分の人生を楽しむと同時に、「あなたがいるから安心して家を空けられる」という、本人を信頼しているというメッセージにもなり得ます。大切なことは本人を尊重する姿勢でいることです。そして家族が楽になれば、本人も楽になっていきます。
――家の中が安心・安全になった後は、どのようなステップを踏んでいくのでしょうか。
深谷:家の中が安全・安心の場所となった次は、先のマズローの図のように「所属や愛情」を求めます。家の中等での役割をこなすことで、「自分はこの家に存在して良いんだ」という気持ちが育まれます。そして「自分は価値のある存在」と認められたい欲求が出てくるのです。
ひきこもりの苦しみは、自己肯定感や自尊感情が損なわれていく苦しみでもあります。従って、安心・安全の場で生きていきたいという欲求を育んで、自己肯定感や自尊感情を回復させることが大切なのです。それが“生き方の支援”ということです。
しかし、家の中が安心・安全の場になっても、地域社会に安心して出掛けられる場がなければ、家の中に留まり続けることになります。そこで重要な場所が地域社会における“居場所”という社会資源です。
――“居場所”とは、どのような場所なのでしょうか。
深谷:居場所とは「何もせずともそこにいてよい場所」のことで、どこの学校や企業に所属しているかなどに関係なく、ありのままの自分自身を受け入れてくれる場所です。そこには同じ経験を持つ方々や、世話人という専門性を有する方々と交わることができます。そういう人が社会とつながるきっかけを与えてくれることが多いのです。家族は安心・安全の場は提供できても、きっかけは与えられません。“居場所”で第三者との交わりを通して、さらに自己肯定感や自尊感情の回復へと至ることになります。
一般的には学齢期の友達関係などを通じて、等身大の自分が等身大の相手と交わる過程を学んでいくことが多いと思います。他者との繋がりを遮断せざるを得ない本人が、そういう第三者との交わりを回復していく場が“居場所”ともいえます。昔であれば地域共同体や職場という形で、それぞれ相応の居場所があったのですが、地域の交流が希薄になった今の日本には、等身大の自分がそのまま尊重される居場所がほとんどありません。KHJでは居場所を運営している家族会支部もあります。
後編では、ひきこもりを無理やり家から引っ張り出す「引き出し屋」の問題点について、引き続き、深谷守貞氏に解説してもらった。