初恋の相手は、母だったかもしれない
そもそも、母には頼れない。
Mを守ってくれるはずの母は、自殺未遂をするほど精神が不安定だったからだ。興奮状態になると逆にMに「あんたなんか人間じゃない」と怒鳴ったり、熱湯をかけたりしてきた。
――じゃあ、お母さんを憎んだこともあったでしょ?
同じような経験を持つ筆者は、こんな話を聞くと心が波立ってしまい、つい自分の気持ちを重ねた問いをぶつけてしまう。しかしMは、そんな質問など聞こえなかったかのように、不思議とちょっと優しい表情になるのだった。
「もしかしたら、初恋の人は母だったんじゃないかなぁと今になって思うんですよ。あの人、暴力を振るった後に、必ず抱きしめて泣きながら『ごめんね、ごめんね』と謝ってくるんですよね。か弱い少女のような人でした」
筆者の母も、筆者を殴った後によく泣いていた。
同じ経験を持つ虐待サバイバーも少なくない。親が暴力をふるった後に態度を一変させ、抱きしめながら「あなたをぶちたくはなかった、だから一番ツラいのはママなのよ」などと弁明するのだ。これはむしろ“虐待のテンプレート”のようなもので、子どもが愛情のかけらを感じ“吉”と出ることもあるが、自分を責めてしまうことで“凶”と出ることもある。
母は本気で謝っているのだろう。でも殴っているときは、むしろ、ちょっと楽しんでいるようにさえ見える。まだ幼かった筆者は、さっきまでの「悪魔の顔」と今の慈しみ深い聖母「マリア様の顔」の豹変ぶりにいつも戸惑った。
どちらが本当のママ? もちろん信じたいのは「マリア様」のほうである。しかしそうなると、「悪魔」の方の説明がつかない。一生懸命考えたあげく、「悪いことをしたのは自分だから、ママを悪魔にしてしまうのも自分。だってママは、『やりたくなかった』とこんなに泣いているのだから。だからすべて自分が悪い」という結論に至った。
鼻血や嘔吐物にまみれた惨めさは、「これは罰なのだから、不平を言う資格なんてない」として封印した。身体の傷は「罪人の烙印」なのだ。誰にもバレてはいけない。
また、Mのように「苦しんでいる母を守らなくては」という、親子の逆転現象が起きることもある。
「母は生活保護を受けていて、恋人に依存するしかなかった。だから彼女を『ボクが守ってあげないといけないんだ』ぐらいに思っていましたね。そんな大事な人を守れない自分に、不甲斐なさも感じていました」
さらに自らの障がいに対する負い目も、自己肯定感の低下に拍車をかけた。
「実はボクは、聴覚と視覚以外にも、複数の障がいを持っています。それは家族にとっては医療費もかかるし、街に出たら色々手伝わなきゃいけない。一緒に楽しめることも、あんまり多くないんです。バトミントンとかキャッチボールも無理だし、バイクや自転車も無理。性格的にも『個性的だ』と言われることがあったけど、とにかく扱いづらい子どもだったと思います」
家庭に居場所はなかった。それは、支援者が守ってくれるはずの「ろう学校」も同じである。初等部・中等部を怯えながら過ごしたMの心では、次のような自己形成がなされていった。
「ボクは、人間以下のゴミだ。いや、ゴミだって何かの役には立つのだから、同等でさえない。『ゴミ未満』だ。だから殴られるのがふつう。それが当たり前」
Mが入学したろう学校は、教師=聖職者という神話など消し飛ぶような、恐怖に満ちた世界だった。
<つづく>