
虐待サバイバーは夜を越えて
聴覚や視覚など複数の障がいを持つMさん(現在は戸籍名を「翼」に改名)は、父や離婚した母、母の恋人から暴力や性的虐待を受けて育った。ろう学校でも教師による暴力や、40代男性からの性虐待被害に遭う。Mさんは中学卒業後、「自分の名前を呼ばれると、身体に変調を起こしてしまう」ような後遺症に見舞われるようになった。
Mさんは積み重なったトラウマから脱却するために、「戸籍の名前を変更する」という行動に出た。全4回にわたるインタビューの最終回となる今回は、名前を変えることで得られた心強さや、法的な手続きを成功させるためのコツについて語ってもらった。
<翼さんのインタビュー第一〜三回はこちらから読めます>
戸籍を改名して虐待の記憶から逃れた。11の自宅と、母の恋人
「あいつは使える」「こいつは使えない」――。 こんな言葉が使われはじめたのは、いつだったか。自分以外の人間を“優劣”で振り分けようとするエゴが、組…
ろう学校で受けた暴力と暴言、そして性被害
ろう学校に通うMさん(現在は戸籍の名を「翼」に改名)は、寄宿舎を含めた11カ所の「家」で、父と離婚した母、母の恋人のそれぞれの自宅を行ったり来たりする…
過剰に禁止されるか、性の対象にされる障がい者のセクシュアリティ 必要な性教育とは
ろう学校に通うMさん(現在は戸籍名を「翼」に改名)は、父や離婚した母、母の恋人から暴力や性的虐待を受け、「自分は虐待されて当然。人間ではなくゴミ未満の…
高校に進学したら、誰も暴力を振るわない世界だった
高校では、地元を離れて千葉県のろう学校に進学。ここでも寄宿舎暮らしだったが、教師たちの対応は「全員が天使で、頭に金色の輪が浮かんでいるのでは」と思うほどに温かいものだった。誰も感情で怒鳴ったり、暴力をふるったりしない。いつだったか「どうして先生はボクたちの悪口を言ったり、殴ったりしないのですか?」と聞いて、キョトンとされたこともあるという。
心を許せる同級生も現れた。彼は男子生徒だったが、母の恋人Aや、酒田のように、Mをセックスの対象として見ない。高校入学時、酒田に裏切られた無力感から自殺願望が絶えず、クラスでも孤立していたMに、いつも笑いかけてくれた。近所の川で入水自殺をしようと計画していた日も、彼の笑顔で「今日は止めておこう」とさえ思えた。
――きっとステキな人だったんだね、どんな子だったの?
「女の子っぽくてかわいい男の子でした。雰囲気は、黄色と緑を混ぜたような素直な色で……」
しばらく色鉛筆の入った箱をじゃらじゃらとかき回すと、うれしそうに春の森のような濃淡の二色を取り出し目の前にかざす。独自の共感覚なのだろう。彼とは個人的に仲良くなることはなかったが、Mにとって、その陽だまりのような明るさと温もりを片隅で感じることが、その日一日を死なずに生きる糧となっていた。
泣きだした養護教諭
しかし、出会って1年と2カ月。彼はあっけなく死んだ。自殺だったという。
いったいどうして。悩みがあったのか、いじめにあっていたのか、その理由を知ることはできなかった。
「先生も教えてくれませんでしたし、国立の学校だったから大ごとにしたくないのかTwitterでも絶対つぶやかないでほしいと生徒たちは釘を刺されました」
ショックのあまり教室にいられず、保健室にかけこんだ。「どうしたの」と養護教諭。最初は彼の自殺のことだったのが、気がつけば芋づる式に、家での暴力や母の恋人のこと、中学校時代での恐怖を話していた。最初は真剣に聞いていた養護教諭は、話せば話すほど悲しげな表情になり、しまいには泣き出してしまったという。
「そのとき初めて、もしかしたらボクは目の前のこの人を泣かせるくらい、ひどい経験をしてきたんじゃないかって気づいたんです。こういうのって『虐待』っていうんじゃないかと」
「そこからは面白いぐらいに坂道を転げ落ちました」と、Mはまだ癒えない傷を振り返る。