社会

大船渡・佐々木投手の登板問題、批判の矛先がなぜ高野連に向かわない?

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【宮西さん】大船渡高校の画像1

「Getty Images」より

 7月25日に行われた全国高校野球選手権岩手大会の決勝で、最速163キロ右腕の佐々木朗希投手が試合に登板せずに敗退。この件で同校の国保陽平監督の采配に賛否の声が寄せられている。

 佐々木投手は前日に行われた準決勝で129球を投げており、4日前の4回戦では延長12回を1人で投げきり194球を投じている。国保監督は決勝戦を戦い終えて、佐々木投手を登板させなかった理由について「故障を防ぐために起用しませんでした」と説明した。

 非常に残念なことに、決勝戦後の大船渡高校には「なぜ佐々木投手を投げさせなかったのか」という抗議の電話が相次ぐ事態に発展。また、元プロ野球選手の張本勲氏は『サンデーモーニング』(TBS系)で、「ケガが怖かったら、スポーツはやめた方がいい」と発言する始末だ。張本氏の暴言はネット上で炎上したが、「甲子園で佐々木投手のピッチングを見てみたい」と思った人も多かったのだろう、国保監督を責める声は少なくない。

 一方で、野球解説者の落合博満氏は夕刊フジの取材で「周りがとやかく言う問題ではない。『投げさせれば勝てるのに』、『なんで投げさせない』という声は出るでしょうけど、指揮を執っている監督が最善策を考えただけのこと」と、監督を擁護。サッカー日本代表の長友佑都選手は自身のツイッターで「「苦境に立たせて大怪我をしたらマイナスでしかない。野球で生きていく選手なら尚更。 監督は批判覚悟で選手の将来を守った英断」と綴るなど、監督の采配を支持する声も多く、まさに賛否両論だ。

疲弊している投手を出場させなかったことが「称賛」される異常さ

 この国保監督の采配はかなり話題を集めたが、投げさせなかった監督の是非を問う論調に傾いている点に、筆者は首を傾げたくなる。この問題の根底には、過密スケジュールや炎天下での試合、球数制限を設けないなど、選手を酷使する高校野球の現状が横たわっている。批判を向けるのであれば、日本高校野球連盟ではないのか。

 これらの問題は毎年議論に上がるものの、改善策を一向に見い出せていない。今春の県大会では、新潟高校野球連盟が「投球数が100級に達した投手は、それ以降の回に登板できない」とする球数制限の導入を発表したが、日本高校野球連盟から「全国で足並みをそろえて検討するべきだ」という“イチャモン”をつけられ、球数制限の導入はを見送らざるを得なくなった。投手を守るためのルール変更に最初に舵を切った新潟高校野球連盟の英断を、日本高校野球連盟は潰したのだ。

 また、佐々木投手も決勝戦に出場したかったという主旨の発言をしており、「選手の希望を叶えるのが監督の務め」という意見も見られたが、これも筋違いだろう。監督が選手の身体を気遣わざるを得ないようなむちゃくちゃなルールを放置している、大会運営のずさんさを指摘すべきである。国保監督を議題の中心に据えることは的外れだ。

 ビジネス色・エンタメ色が強くなりすぎてしまい、学校の部活動の枠から議論が逸れがちであるが、高校野球はひとつの部活動である。文部科学省は「運動部活動の意義」として「運動部活動は、自主的に自分の好きな運動に参加することにより、体育の授業に加えて、スポーツに生涯親しむ能力や態度を育てる効果を有しており、あわせて、体力の向上や健康の増進を一層図るものである」と記載している。ここで“生涯”という言葉が使われているように、国保監督は佐々木投手が生涯野球(スポーツ)を楽しむために適切な判断をしたといえる。疲弊している投手を投げさせなかったという当たり前のことに、批判や称賛が向かう現状のほうがおかしいことに気づくべきだ。

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